51歳で第二子。孤独な老後を回避する「分散投資」のすゝめ

深夜。家族が寝静まったリビングで、僕はひとりパソコンに向かっている。残業という名の、終わりのないパズルだ。

ふと隣の寝室に目を向けると、そこには妻のいしと、弊息子タケが安らかな眠りについている。
平和な光景だ。実に喜ばしい。

現状、我が家は「大人二人、子供一人」という構成だ。
僕といしは、タケという唯一の宝物に、これでもかというほどリソースを注ぎ込んでいる。
それは親の愛と言えば聞こえはいいが、一歩間違えれば「ヘリコプターペアレント」への直行便だ。

タケもタケで、親が二人がかりでフルアテンドすることを「当然の仕様」として受け入れ始めている。
このままでは、親子というよりは「過剰サービスを提供する運営と、わがままなVIP客」のような共依存関係になりかねない。

特に懸念すべきは、家庭内における「勢力図」の変化だ。

僕は男という個体ゆえか、子どもとは物理的・精神的にスッと距離を置くことができる。「いかん、このままだと共依存になる」と思ったら、身を翻すことは容易だと思う。

しかし、いしは違う。卒乳の時も、添い寝の節目も、彼女はタケを手放すことに激しい葛藤を見せてきた。
このままタケが成長すれば、「強固な絆で結ばれた母子連合」に対して「外で小銭を稼いでくるだけの年老いた父」という、2人対1人の構図ができそうだ。

これは、僕の孤独な老後へのカウントダウンに他ならない。・・・いや、笑い事じゃない。現に僕自身、かつて単身赴任がちだった実父に対して、驚くほど薄い愛情しか持ち合わせていないのだから。

大人になって、「ああ、すごくすごく世話になったんだな」と強く感謝の念を父に抱くようになったが、それは過去形としてだし、理性的に考えてのことだ。父親が生きている間に、現在進行系として親愛の情を持てなかったことは、息子として残念に思っている。

で、その逆が我が身にもいずれ起きる。今度は「親愛の情を持たれない父親」の役を、僕自らが演じることになる。

これは厳しい。ケチな性分の僕は、子どもに与えた愛情分はきっちりリターンが欲しい。でも、たぶんそれは実感しづらい予感がする。

「この集中投資は危険だ」
投資の世界では、リスク分散は基本中の基本だ。
タケに向けられた「こってりした愛情」を、もう一人の個体へと分散させる必要がある。

子供が二人になれば、家の中は「大人勢 vs 子供勢」という、2対2の勢力が拮抗するチームへと進化するはずだ。
ワチャワチャと子供同士で揉み合ってくれれば、親のヘリコプターも少しは距離を空けざるを得ないだろう。

そんなわけで、僕だけでなくいしも、第二子については賛成だった。

しかし、現実はなかなかどうして、厳しい数値を突きつけてくる。

現在、僕は51歳だ。

45歳で13歳下の女性と結婚し、47歳で第一子。これだけでも十分に「超レアキャラ」の自覚はあるが、51歳で第二子となると、もはやこども家庭庁からサンプル調査の依頼が来てもおかしくないレベルの超希少個体だ。

計算してみる。あと8年後には、今の会社なら定年退職だ。
再雇用という道を選んだとしても、給料は東京都の最低賃金に毛が生えた程度。そこに待ち受けるのは、教育費という名の巨大な山と、僕の限られた健康寿命とのデッドヒートだ。

正直なところ、それほど「第二子誕生への多幸感」に浸る余裕はない。嬉しいのは間違いないが、それ以上に「さて、この人生のレールをどう繋ぎ直したものか」という、膨大なパズルを前にした、静かな、実に静かな困惑がある。

タケに続く新しい個体が、この家庭にどんな化学反応を起こすのか。
とりあえず、僕の居場所が家の中に数パーセントでも残ることを祈りつつ、明日のための残業を再開することにする。

(2025.07.28)

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