自宅出産という0.1%のマイナー

第二子の誕生にあたり、僕たちは「助産院の助産師さんに依頼し、自宅で産む」という選択をした。
これが今の世の中、どれほどマイナーな挙動か、ご存知だろうか。

助産院で分娩する、というだけでも全体の1%未満。
さらに助産師さんのフォローを受けつつ自宅出産ともなれば、0.1%程度かそれ以下、という希少体験だ。
年間の出生数が70万人だとしたら、日本全体で年間700名いるかどうか。もはや絶滅危惧種と言ってもいい。

そもそも、街中で見かける「産婦人科」の多くが、「分娩はやってません。妊婦健診までです。メインは不妊治療です」というビジネスモデルにシフトしているご時世だ。
駅前にあったり、大きな看板を出しているようなクリニックは、だいたいこれだ。
少子化の今どき、コストとリスクがかかる分娩をやりたがる医院は、経営判断として少ない。

東京23区内で、実際に分娩まで担うことができる助産院は、もはや20か所強しかないという。
廃業が相次いでいるだけでなく、現存していても「産後ケアのみ」にシフトし、リスクの伴う分娩を取りやめるケースがあるからだ。

助産院は病院ではないので、当然ながら医師がいない。いるのは、助産師さんだけだ。
そのため、妊婦の状態を見て「助言」はできるものの、医療行為としての「診察」はできない。
妊婦健診は、助産院通いとは別に、提携する産婦人科に通わなければならない。二度手間だ。

また、薬の処方も助産師にはできない。
鉄剤や鎮痛剤といった妊産婦にとってありふれた薬が必要な場合も、わざわざ産婦人科へ足を運ぶ必要がある。

そうやって手間暇かけて助産院にお世話になっていても、妊娠の過程で高血圧や高血糖といった「高リスク妊婦」のフラグが立てば、即座に病院へ強制バトンタッチ、という仕様になっている。
出産は大量出血など母子の生命に危険が伴うため、医師がいない助産院では緊急対応ができないからだ。

ならば、もはや現代社会において助産院というのは時代の役目を終えた存在なのではないか?とも思うのだが、今回我が家がお世話になったように、まだひっそりと、しかし確実に存在している。
おそらく、自分が考えたバースプランを実現するためには産科クリニックでは難しい、と考える「こだわりの人」が利用するのだろう。

また、助産師さんもクリニックや病院勤務では飽き足らず独立開業した人なので、出産に対して並々ならぬこだわりがある人だとお見受けした。
僕がお話した助産師さんは、「病院勤務だと、勤務シフトで時間を切られ、ずっと母子に寄り添えないことが不満だった」とおっしゃっていた。

志は立派だが、逆に言えば独立したことによって、24時間365日、いつ始まるかわからない分娩に備えて母子に寄り添い続けないといけない、という道を選択したことになる。
これは相当な覚悟だ。僕にはとても真似できない。

すべての助産院がどうなのかは知らないが、僕らが実際にお話を伺った助産院3か所は、いずれも「自宅兼」というスタイルだった。
戸建ての1階部分が分娩・宿泊スペースで、2階以上が助産師さんのご自宅(と思われる)。職住接近というか、職住一致。

どれも「戸建て」である以上、駅から離れた住宅地にある。お世辞にも交通の便が良いとはいえない。

出産直前や出産後の受診のため、いしはタクシーでその助産院に通っていたが、交通費の領収書を見るたびに苦笑してしまう。医療費控除の対象となるとはいえ、キャッシュフロー的な負担はなかなかどうして、馬鹿にならない。今回、助産院を何か所か見学させてもらって、自宅からやや遠い院のお世話になることを決めたので、なおさらだ。

そもそも、いしが自宅出産を選んだのは、第一子であるタケ、そして僕に出産に立ち会って欲しいという希望があったからだ。
タケ出産のときはコロナ禍の真っ最中で、分娩立ち会いはNG、その後の面会もわずか15分という塩対応だった。

彼女は孤独に産み、孤独に退院までを過ごした。それが相当な心残りだったのだろう。
今はコロナが落ち着き、立ち会い可能なクリニックも増えた。しかし、幼児がLDRに入って立ち会うことまで許容する施設は、自宅周辺には存在しなかった。

ならば、自宅で産めばいいじゃない。というパンがないならケーキを食べればいい的な発想で、自宅出産という選択肢が浮上した。

第一子をクリニックで産んだいしは、「なるほど、クリニックで産むというのはこういうパッケージ商品か」と理解したらしい。
じゃあ第二子はどうする?という局面で、敢えて大学病院という巨大組織に行くか、それとも助産院というミニマムな世界に行くか。第一子とは違う環境で産んでみたくなったという。
結果として、彼女は「助産師さんに手伝ってもらって自宅で産む」という、究極のマニアック出産を選んだ。さすがは我がパートナー、選ぶ道が険しい。

実際に命がけで産むのはいし自身だ。
彼女がどのような選択をしても尊重するつもりだったし、男の僕が外野から口を差し挟む余地など、1ミリもない。

ただし、一点だけ懸念があった。
「このご時世で運営されている助産院ともなれば、一癖も二癖もあるのではないか?」ということだ。
妊娠出産という分野は、スピリチュアルやオーガニックといった界隈と非常に親和性が高い。
不用意に「宇宙のエネルギー」とか「胎内記憶」とか、そっち系の話題に取り込まれてしまわないか、それだけが心配だった。

もちろん、それらが精神的安寧をもたらすこともあるだろう。
でも、少なくとも僕の前ではその手の話題や素振りは見せないでくれ、といしにはあらかじめお願いしておいた。僕はそういう話題が苦手だからだ。

助産院や自宅出産と聞くと、つい「ビニールプールを膨らませて水中出産」みたいな絵面をイメージしてしまうのだが、助産師さんに聞くと「今はまずやらない」とのことだった。
感染症のリスクや、出血時の対応の遅れなど、デメリットの方が大きいらしい。

それでも、妊婦のバースプランを最大限に尊重してくれるのが助産院の売りだ。
無茶な話でなければ応じてくれるはずだが、じゃあどんなオリジナリティ溢れるプランがあるのか、と僕が男なりに考えてみたものの、結局何も思いつかなかった。じゃあバースプランってどんなものがあるのか、というと、「好きな音楽をかける」とか「へその緒をパートナーに切ってもらう」とか「産まれたばかりの子を抱っこする」とか、あるらしい。なるほど。僕はそういった想像力がまったく欠如していた。

さて、この特殊な世界について、もっと詳細に一連の出来事を書き連ねたい欲求はある。

しかし、これ以上踏み込むと、お世話になった助産院や個人の特定が容易になってしまう。
迷惑をかけたくないので、記述はこの程度に留めて筆を置くことにする。

「せっかくの貴重な体験なんだから、マネタイズできるのでは?」
という俗世の声が聞こえてきそうだが、あいにく、このブログをキラキラした「子育て成功体験記」に改造するつもりは毛頭ない。

これまで通り、ここは単なるチラシの裏だ。男である僕の、個人的な困惑と記録を、ただ淡々とこの空間に放流し続けていく。

(2025.12.14)

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