自宅出産は「仕様」が違う?寝てる間に産まれた第一子と、逃げ場のない第二子

自宅出産を完遂するためには、本人の体調管理はもちろん、胎児の発育、そしてパートナーである僕の仕事の進捗という「三位一体」の調整が不可欠になる。

思い返せば第一子の時は、実にあっけないものだった。

夜の23時頃に自宅で破水し、僕は手慣れた手つきでカーシェアを手配。

23時半には産婦人科クリニックへ「いし」を送り届け、「じゃあね」と軽い挨拶を交わして別れた。

そのまま帰宅していつも通りに眠り、いつも通りに目が覚めたらスマホに「産まれた」というLINEと見たことがない赤ちゃんの写真。

おっと、これは。自分の人生を左右するビッグイベントが、僕の預かり知らぬところで、しかも寝ている間に完結してしまった。

出産とは壮絶な痛みと苦しみを伴う「天下の一大事」だと聞く。
そんな激闘の最中に、当の父親がのうのうとイビキをかいていた事実に、当時は少なからず申し訳なさを感じたものだ。

それでも僕の日常は止まらない。
当時はコロナ禍の真っ只中。テレワーク主体だったし、面会もわずか15分という制限付き。彼女が入院している数日間、僕の仕事が滞ることは物理的にあり得なかった。

しかし、今回は「自宅出産」である。

そうなると、僕の育児休職という名の「全面的な臨戦態勢」が前提となってくる。

いつ産まれるか分からないし、陣痛から出産まで何時間かかるかも不明だ。
まさか、痛みで悶絶しているパートナーに向かって「すまん、大事な打ち合わせがあるから、ちょっと静かにしててくれる?」なんて言えるわけがない。

そんな不敬を働けば、一生恨まれるだろうし、失った信頼は回復しないだろう。

そんなどうしようもない事情を察してか、いしは12月中旬から極力外出を控え、僕が年末年始休暇に入るまで「耐える」というストイックな戦いに挑んでいた。

産前休業中なのでもっとあちこち行けると思ったのにね、といしは苦笑する。彼女が自由にできたのは、せいぜい「鬼滅の刃」の映画を見に行ったくらいだ。ちなみに僕はというと、仕事が忙しくてまだその映画は見ていない。ちょっとうらやましい。

出産予定日は2026年に入ってからだったが、彼女の「年をまたぐ前に産まれそう」という予言、あるいは宣告は重かった。

それでも「仕事納めまでは耐える」と、彼女なりに僕の社会生活を尊重してくれた。

2025年12月26日、無事に仕事納め。

27日から待望の長期休暇が始まった。


「もう大丈夫、正期産に入ったし」と安堵した彼女は、それまでの「静」から「動」へと一転した。

「妊娠40週を過ぎても産まれなければ病院行きになる。これからは歩く」

そう宣言するやいなや、活動を華麗に再開した。1時間くらいてくてく近所を歩いたりもした。

効果はテキメンだった。
その日の夜遅く、ようやく寝ようとしていた僕の部屋に、彼女が静かに現れた。

「陣痛が来たかもしれない」

現在、25時。
これから出産なのか。しかも、この家で。

「やっと寝られると思ったのに・・・」なんて言葉は、冗談でも口にできない。

さあ大変だ。布団の準備だ、助産師さんへの連絡だ。

自宅出産において、「頑張って行って来い!」という送り出しは存在しない。
最初から最後まで、この現場のすべてを見届け、サポートしなくてはならないのだ。

長い夜が、今始まった。

かどまつの絵

(2026.01.01)

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