育休で「実質手取り10割」の甘い罠?PDF地獄と職場の沈黙に震えた1ヶ月

2025年4月、世の中には「産後パパ育休(出生時育児休業)」なる新仕様が実装された。
子の出生から8週間以内に最大28日間、仕事を放り出して育児に専念できるという触れ込みだ。

雇用主は、従業員に対して育休制度があることを告知する「義務」がある。
そして、男性社員は育休制度を取得する権利がある、というしくみになっている。

この「産後パパ育休」の最大の特徴は、休業中に支給される給付金が「実質手取り10割」になるという点だ。
給付率が80%に引き上げられ、社会保険料の免除を組み合わせれば、理論上は「働いているときと変わらない」計算になる。

「休んでも給料が変わらない」・・・聞こえはいいが、この世にそんな美味い話が転がっているはずもない。
案の定、その裏側には、お役所仕事特有の「底なしのややこしさ」が口を開けて待っていた。

そもそも、労務厚生の世界には「ノーワーク・ノーペイ」という鉄の掟がある。
わかりやすく言えば、「働かざるもの食うべからず」だ。休めば給料は出ない。当たり前の話だ。

ただ、それでは日本の少子化は止まらないし、男性の育児参加も進まない。
そこで「給料の2/3を出すから休んでくれ」という制度が既にあったわけだが、それでも1/3の減額は痛い。

さらに言えば、職場を離脱している期間は当然ながら「成果」が出せない。
「育児休業を理由に不当な査定や処遇をしてはならない」と法律で決まってはいても、不在の間にボーナスや昇給のチャンスが遠のく現実は、そう簡単には覆せない仕様だ。

実際、我が家の第一子の時、僕は育休を取得していない。
最大の理由は「給料が減るなら、休むだけ損だ」という、じつに即物的な判断だった。

ところが2025年、国は「+13%上乗せ」という力技に出た。
非課税の給付金と社会保険料免除をぶつければ、額面給与と遜色ない「実質10割の給与相当がもらえる」育休が可能になるという。

「よし、それなら休んでやろうじゃないか」
僕を動かしたのは、育児への情熱もさることながら、この「実質10割」というフックだった。一定の成果がある施策だと言わざるを得ない。

しかし、制度を利用するために厚労省のWebサイトを眺めた瞬間、僕は立ちすくんだ。
制度の説明から必要書類まで、これでもかと細かい文字が並んでいる。何をどう準備すればいいのか、さっぱり見当がつかない。

あらゆるマイノリティなケースを想定した網羅性の高い資料は、僕のような「平凡な出産パターン」の人間でさえ迷子にさせる。DVから逃れるために離婚はしていないけど別居している、とか子どもは養子、とか、いろいろな想定が出てきて、人間社会の複雑さをまざまざと実感する。

「はい・いいえ」で進めば必要な書類が揃うようなUIを期待するのは、お役所相手には酷というものか。

なにせお役所はPDFが大好きな組織だ。WebのUXなんて概念は、彼らの辞書には存在しないらしい。

仕方がない、自社のイントラネットを頼ろう。
平凡なサラリーマンが集まる組織なので、もっと噛み砕いた解説があるはずだ・・・

と思ったら、自社の資料も同じだった。
老眼殺しの極小フォントで埋め尽くされたPDFと複雜にセルの制御がかけられたExcelが、そこには鎮座していた。

理想はマイナポータルでポチるだけ、なのだが、そんな未来はまだ遠いらしい。
遠くない将来、就労証明書がマイナポータルで取得できるようになるという話もあるが、現状は「紙とPDF」の波に呑まれるしかない。

特に男性向けの育休説明資料が、どうも「女性の休業」向け資料をもとに手直しした作りで、僕のような自宅出産で「出産初日から休みたい」というニーズにピタッとはまらない。
女性の育児休業は、産まれてから6週間ないし8週間が経過してからだ。なので、出産日はもちろん確定している。一方僕はというと、まだ産まれてもいないので母子手帳の「出産予定日」が書かれているページをスキャンして証跡として提出する。しかもその日付を書いたのは医師ではなく、パートナーのいしだ。医学的根拠ゼロの書類に、どんな証跡としての価値があるのか、不思議でならない。そして名前は決まっていないので、子どもの名前は空欄だ。


当初、僕は育休を「有給休暇」の延長線上にあるカジュアルなものだと誤解していた。
だが弊私が勤める弊社における現実は、人事発令を伴う「異動」扱い。2週間前までに所属長の承諾を得るという社内ルールだった。

泡を食った僕は、現場の直属上長に具体的な相談をする前に、会ったこともない雲の上の人である所属長に「育休をください」と直談判メールを送ってしまった。
快諾は得られたものの、社会人としての手順を踏み外した自分の振る舞いに、後から冷や汗が出た。

休暇ではなく「休職」。
そのため、僕は休職に伴って一時的に職を解かれ、社員名簿上でも見慣れぬ役職名に変わっていた。これにはさすがに仰天した。

ハローワークへの申請、財形貯蓄をはじめとする給与天引きとなるものの停止手続き、その他諸々。
わずか最大28日の休みのために、これほどの事務コストを支払うのは、正直言って割に合わない。
「有給に毛が生えた程度」だと思っていた自分を、往復ビンタしてやりたい気分だ。

ハローワークの資料も、相変わらず「産後休業中の女性」を想定している。
「子供の名前」を書く欄を前に、「まだ名付けてもいないのだが」と筆が止まる。一つ一つのステップに、いちいち「仕様の不一致」を感じてしまう。

出産後も、ドタバタは続く。
出生届、戸籍の編纂、そこからの事務作業。名前が決まるまでの一週間、タイムリミットが迫る中で、僕は事務処理マシーンと化した。
なんだか、肝心の育児よりも「事務処理」を完遂することに全神経を注いでいる気がしてならない。

復職もまた人事発令だ。再び所属長への報告、各種申請の復活。
つい先日止めたばかりのものを、また動かす。この反復横跳びに何の意味があるのか、と考えたら負けだ。
所属長に「子どもが産まれました」と報告しつつ、「当初予定通り2月2日に復職します」と連絡、承諾を得たらそのように人事上の手続に入る。予定通りの休職終了であっても、所属長の許可が必要だった。なにせ人事発令だから。

会社のPCはセキュリティの関係で自宅プリンタに繋げない。なので、育休に関する膨大な社内資料は「印刷したいなあ」と思いながら、全てPCの画面上で読み進めた。また、休職中に会社PCを触るのは原則禁止なので、子供を扶養に入れる手続きや健保の新生など、休職したことでかえって事務処理の難易度が跳ね上がるった。休まないほうが、このあたりの社内事務処理は楽だった。


そして、一番まいったのは、職場での業務引き継ぎだった。

今の時代、育休に不満を漏らす者はいない。ポリコレの勝利だ。
しかし、オンラインミーティングの画面越しに伝わってくる、あの「重苦しい沈黙」。
「また仕事が増えるのか・・・」という仲間の心の声が、光回線を通じて痛いほど伝わってきた。

ここで安易に「ご迷惑をおかけします」と謝るのは、育休文化を汚すようで避けたかった。
だが、代わりに何を言えば正解だったのか。言葉に詰まって気の利いた言葉が言えなかった。「もうしわけありませんが」という言葉も使えない。育休が悪であるかのような言葉は、使うべきではないと思ったからだ。
でも結果的に言葉が詰まって口数が少なくなってしまった僕は、周囲には「仕事を人任せにしても平然としている」と映ったかもしれない。

せめて後日ランチでも奢って帳尻を合わせたかったが、フルリモートのチームではその機会さえない。
アマギフをメールで配るのは品がないし、結局、僕は気まずさを抱えたまま戦線を離脱した。

これが「短期育休」の難しさだ。
半年や1年単位の休職なら僕の業務は完全に別の人にスライドし、その人のキャリアにもなるだろう。
だが28日間の不在は、単に各人に「仕事が積み増される」だけ。ノウハウもその後活かせず、僕が戻れば霧散する。
仲間の沈黙は、至極真っ当な反応なのだ。それがわかるから、余計に申し訳ない。

よりによって、ハイパー多忙な時期の離脱だった。僕は罪滅ぼしのように、引き継ぎ資料を磨き上げた。
タコツボ化したノウハウをすべて書き出し、タコツボをできるだけ破壊し、さらにパワポで100ページを超える大作が完成した。たった1ヶ月の休みのために。
おかげで休職直前の12月は過重労働の基準を叩き出し、「早く休みたい(家庭のためではなく、自分が)」と願う本末転倒な事態に陥った。


実際に休んでみて痛感したのは、育休の真の目的は「新生児」ではなく「上の子」にあるのではないか、ということだ。
もうすぐ5歳になる第一子・弊息子タケは、体力を持て余した怪獣である。

弟が生まれて外に出られない母と赤ん坊を尻目に、年末から年始にかけて、僕は彼をひたすら公園へ連れ出し、ひたすら消耗させる任務に就いた。

「弟ができても、君は愛されている」
そんなメッセージを背中で語りながら、50代の僕は公園の遊具で限界を迎えつつあった。

男性育休とは、妻のフォローという名の「事務処理」と、上の子の「体力削り」の二面作戦で幕を閉じた。
結局、年末年始休暇を合わせて1ヶ月強、僕自身はこれっぽっちも休まらなかったし、次男と触れ合った記憶も事務処理の合間の断片でしかない。

あっという間の育児休職だった。

(2026.02.01)

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