
第二子の名前は、夫婦で散々悩み抜いた結果、「リョウ(ネット上の仮名)」に落ち着いた。
第一子が穂高岳・岳沢から取った「タケ」なのだが、これに対して「リョウ」は稜線に由来する。
気づけば我が子二人とも、名前がガッツリ山岳由来になってしまった。
念のために言っておくが、僕は別に山岳部出身でもなんでもない。ただの、ちょっと山を歩くのが好きなだけに過ぎない。
たぶん、僕が死んだら「山が好きな人でしたね」と、さもそれが僕の全人格であったかのように語られるのだろう。
それはそれで、なんだか残念な気がする。
おかでんという人間の、本来であれば多面的で混沌とした人格と人生の一面だけが標本のように残るわけだ。
遺影にしてもそうだ。
死んだ瞬間に、その一枚の切り出しが「その人の姿形」として遺族の記憶に上書きされてしまう。
若かりし頃の野心に満ちた顔も、何かに絶望して険しかった顔もあったはずなのに、最後は微笑んでいる遺影がすべてを規定する。
僕の義父が亡くなった時もそうだった。
「釣りが好きな人でした」と紹介され、参列者は納得していた。
事実は事実なのだが、人一人の人生を語るにしては、いささか要約が過ぎるのではないか、と感じたものだ。
さらに、晩年を認知症と共に過ごすと、周囲を困らせたエピソードばかりが輝きを増し、親族の集まりで格好の思い出話になってしまう。故人からすれば、不本意かもしれない。
そう思うと、やはり「ピンピンコロリ」こそが至高の出口戦略だと思えてくる。
僕は認知症を患わなかったとしても、延命治療は丁重にお断りしたいし、可能なら早々に安楽死でお願いしたいと考えている。
僕がその時を迎える前に、どうか法律の方が追いついてほしいものだ。
さて、そんな人生の終着点に思いを馳せつつも、現実は容赦なく目の前のタスクを突きつけてくる。
第二子の命名、そして諸々の手続きは、第一子の時以上に慌ただしく進めることになった。
とにかく、役所に出生届を叩き込まないことには、行政や会社、その周辺の歯車が回らないからだ。
第一子の時は、どこか「ぼちぼちやっていこう」という余裕があった。
当時は育休も取らずに仕事をしていたはずだが、それでも忙殺された記憶はない。
なぜ今回はこんなに余裕がないのか。
答えは簡単だった。第一子の育児と「並行」していたからだ。
保育園の送り迎え、遊び相手、勉強の指導、食事に風呂。
これら既存のルーチンに、新生児のフルメンテナンスが加わる。
「二回目だからイージーモードだろう」という僕の目論見は、甘かった。
リソースの問題だ。
第一子に親のリソース一人が完全に占有され、残るもう一人も第二子に吸い取られる。
バックアップ体制がない。
経験値による効率化など、物量作戦の前では無力だったのだ。

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