
我が家の次男、弊息子リョウがめでたく生後100日を迎え、お食い初めの儀式を執り行った。
振り返れば、第一子タケのときにもお食い初めはやったのだが、当時の率直な感想としては「ふーん、こんなものか」という印象がすこぶる強かった。
由緒正しき伝統儀式のようでいて、実際はどこか締まりがない。要するに、ちょっと豪勢な「中途半端な親の会食」というジャンルに分類されるイベントだった。主役が寝ていることも多いし、案外写真映えもしないのだ、これが。
ここに双方の祖父母や親戚一同が集結していれば、また全然違った華やかな雰囲気になったのだろう。だが、普段から同じ食卓を囲んで代わり映えのしない食事をしている核家族だけで、わざわざ高い金を払って外食店舗に出向く必要性があるのか、という根本的な疑問が首をもたげる。
なにしろ、肝心の「お食い初め膳」として仰々しく出される祝い魚や赤飯の数々は、当の本人は1ミリも食べられない。すべては大人たちが後からおいしく頂くための舞台装置に過ぎない。
とはいえ、これが「第二子の行事」となってくると、急に大人の政治的配慮が必要になってくる。
「一人目のときに勝手がわかったので、二人目はナレッジを活かして大幅に修正(簡略化)しました」とは、安易に言えない。特に将来にわたってデジタル写真や思い出の記録が残るライフイベントは、なおさらだ。
「長男の時は立派な塗椀に鯛の尾頭付きがドカンと盛られた高級料亭だったのに、次男の時は自宅のコタツで魚肉ソーセージとチクワだった」なんていう凄惨なアルバム格差を、将来リョウが物心ついたときに発見したら、深刻な家庭内抗争に発展しかねない。たとえ本人がお食い初めで何も食べられなかったとしても、だ。
というわけで、血気盛んな兄弟格差を事前に埋めるべく、今回も外のお店を予約してお食い初めを断行することにした。
しかし、店選びのハードルは高い。ガヤガヤした居酒屋じゃ論外だし、隣の席の声が丸聞こえの半個室は、乳児の泣き声リスクを考えると絶対に避けたい。熟考の末、僕らはホテルの和食レストランの完全個室を確保するという、極めて安全牌な防衛線を敷いた。ここならホスピタリティも含めて安心だ。
さて、当日一番の重労働を強いられたのは、主役であるリョウだった。
自分は一口も栄養を摂取させてもらえないお預け状態だというのに、まずは夫婦揃って「はい、お魚ですよ」「お赤飯ですよ」と全種類の料理を口元に運ぶ真似事に付き合わされる。
さらにそれが終わると、今度は遠方の各実家とAlexaおよびLINEのビデオ通話で回線を接続。ばあばに見せるために食べさせる真似の再現を強要される展開に。
リョウにしてみれば、生まれてこの方見たことも食べたこともない謎の個形物が、何度も何度も自分の唇の超至近距離まで迫っては消えていくのだ。まさに拷問に近い寸止めループ。彼の脳内は「???」でいっぱいだったに違いない。
そんな主役の困惑をよそに、儀式を終えた大人たちは無事に鯛の尾頭付きを平らげ、今回もやはり「まあ、こんなものか」という妙なやりきった感とともに幕を閉じた。
こうして無事に20年後への『証拠写真』も確保できたわけだ。子どもに恨まれながら晩年を過ごす、ということは避けられたと思う。
(2026.04.11)

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