食べ放題学・概論

「おかわり!」このコトバを発するとき、人は二通りの顔をする。えらくつややかな顔をしているか、苦悶の表情を浮かべるかのどっちかだ。「おかわり」。このコトバを発する時ほど、デブが生き生きとしている時はない。このコトバを発する時ほど、ダイエットをしている人が今にもぶっ倒れそうな顔をする時はない。

世の中一般的・・・少なくとも中流家庭以上だと、食卓にのぼる料理というのは大抵「一人前」もしくはそれ以上の量が提供されるものだ。それでありながら「おかわり」というコトバを発するということは、それだけの量では到底満足できないという腹の皮がつっぱったヤツのやることだ。「居候、三杯目にはそっと出し」とか「居候、三杯目には辺り見回し」といった川柳があるように、おかわりという行為はちょっとだけ恥ずかしい行為なんである。

そんなこんなで、ちょっと遠慮している腹ぺこキッズが唯一羽を伸ばすコトができる、この世のパラダイスっていうのが「食べ放題」のお店だ。このお店に一歩踏み込めば、そこは別天地、治外法権の場所となる。何しろ、このお店ではおかわりが当然なんだからたまらない。逆に、おかわりをしないヒトってのは「なんだよもったいない貴様それでも軍人か歯を食いしばれェッ」ってな具合で批判を一身に浴びることとなる。それまでの立場が全く逆転してしまうのだから、「大貧民」で同一カード4枚出して「革命」を起こすようなもんだ。痛快以外の何者でもない。

しかも、食べ放題のお店においては「元を取らなくちゃ」という殺し文句が静かにしかし確実にじわじわとお客の体を包み込む。普段肩身の狭い思いをしながら大食いをしていたヒトってのは、ここぞとばかりに「元を取る」を連呼して己の大食い正当性を高らかに宣言することになる。

どういったお店が「食べ放題」をやっているのか、調べてみると圧倒的に焼き肉・しゃぶしゃぶ・すきやきといった肉系統が多い。ちょっと前まで肉は高級品で、そんな食べ物をわっさわっさと心ゆくまで食べることができるという事でお客はエクスタシーを感じていたのかもしれない。しかし、必ずや食べ過ぎて胃がもたれ、「牛肉は 遠くにありて 思ふもの」なんてうつろな目をしてつぶやいたりなんかして。

結局、食べ放題の清く正しい食べ方っつーのは、「元を取る」じゃないんだろう。なんでそんな無駄な格闘をお店に挑まなくちゃならんのか、ちょっと冷静に考えて見りゃ分かるモンだ。2000円で焼き肉食べ放題のお店で、2500円分の焼き肉を食いまくったとしよう。これ、単純に考えると「500円分儲かったでぇ。ゼニがざっくざっくやでぇ」って事になるんだけど・・・ちょっと待った。「うう、食べ過ぎた・・・気分悪ぃ」で300円減点。翌朝、「あっ、体重が2キロも太ってる!ショックぅぅ」で400円減点。おいおい、これだけで赤字になってるぞ。そして、極めつけが「2000円も払うんだったら、もっと別のおいしいモノが食べられたんじゃないの?」。この一言でマイナス128k円。悔い改めよ!どーん。

料理の値段を気にせず、自分の好きなだけ食べれば良い。それが食べ放題本来の姿っつーか、オトナの食べ放題なんだろう。「これを追加注文するとお金が500円増えるわけで、あらあら予算オーバーだ明日買おうと思ってた服はあきらめなくちゃいけないかな、いややっぱり追加注文はやめようかな」なんてどっちつかずで悶絶しなくちゃならん、奥飛騨慕情。いや違った、懐事情。そこから解放してくれるのだろう。定額制プロバイダみたいなもんだ。あっ、そうか定額制プロバイダってのも、ある意味「回線資源の食い放題」なのだな。

今気づいたけど、ひょっとすると「食べ放題」というのは貨幣による資本主義経済を否定するもんじゃないか、って・・・すんません、んなわけないですね。「そりは違うぞ」と鋭いご指摘を頂戴する前に、敵前逃亡しておこう。

お金を気にせず食べる、これこそ食べ放題の神髄。いやね、こうして文章であらためて書くと「ばっかでー、当たり前じゃん、何を今さら知ったげな口聞いてるんだばっかでー」と「ばっかでー」が256回連呼されるくらい見下されそうだ。しかし、案外食べ放題を前にすると、人格って変わってしまうものだ。こんな当たり前の事が当たり前じゃなくなってしまう。

ほら、車のハンドル持つと性格変わる人っているじゃない。さっきまで温厚だったのに「なんだよもっと注意しろよこの馬鹿車、運転下手なら運転すんじゃねー、だから赤い軽自動車はイヤなんだよ運転のうの字も知らねーオバハンばかりだからよケッ!ケッ!」みたいな事を早口でまくし立てたりなんかする。

これと一緒で、食べ放題のお店に行って、店員に「制限時間は2時間です」なんていわれた瞬間、そのコトバを「かーん」というゴングの音と勘違いして猛然と食べ出す始末。

いや、ひょっとすると「そんなヤツいねーよ」って意見が多いかもしれない。あくまでも、この話ってのは俺の価値観で書いてるから。少なくともおかでんに関しては上に書いた通り、「それ死ぬまで食べ尽くせ」と人体の限界まで食べる。食べ過ぎのあまり朦朧としてしまい、神の啓示を受けてサトリを開く寸前のところまでいってしまうタイプだ。「ダイエット!?日記」を読めば分かると思うけど、ダイエット敢行中でありながらばしばし食べまくっている。で、食べた後「さあここで肥った分どうやってリカバリーするかな」なんて小さな胸を痛めたりなんかするわけだ。

結局、ゲームなんだな、自分にとっての食い放題ってのは。胃袋の限界とはどこか、という探求。そこには「元を取ろう」という考えも「お金を気にせずに」って考えも無い。煩悩の固まりな食べ放題に、荒行に挑む僧侶の心境で臨んでいるわけだ。それは崇高であり、美しく、かつ神々しい・・・と思いこむのは勝手ですか。駄目ですか。それとも頭おかしいですか。

まあどっちにせよ、食べ放題という「食のエンターテイメント」をただ単にからっぽの胃袋を満たす為だけの手段にしてしまう手はない。お店だって、あの手この手でお客を引きつけるアイディアを提示してきているわけなんだから、それにまんまとハマってみるってのもこれまた楽しいじゃない。やられてみようよ、お店のねらいに。腹いっぱいになった胃袋をさすりながら、満足したような失敗したような中途半端なやるせなさで「ううう」って唸ってみましょうよ。

今回は「食べ放題学概論」として総論的な話題に始終したけど、次回以降個々の食べ放題について見ていきたいと思う。いや、食べ放題ってのはホント面白い。

(1999.05.06)

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