
ちょっと前の話だが、父が死んだ。
本人が願ったとおり、ピンピンコロリだった。
息子ながらに、良い死に方をしたと思う。
悲しみに暮れる暇があるかと思いきや、現実は非情だ。
遠隔地の実家で積み上がる書類、慣れない事務処理、父親の介護保険の解約と入れ替わりに母親の介護保険適用。
「死を悼む」という人間らしい感情は、無慈悲な事務処理の濁流にあっさりと押し流されてしまった。
結局、僕ら兄弟が気にしていたのは「いかにこの手続きをスムーズに完遂するか」という一点だった。
兄貴の提案で「asana」というタスク管理ツールが導入され、そこで兄弟間でタスクを分担し、こなしていった。
関東に住居を持つ僕ら兄弟が実家に滞在できる期間は限られている。
限られた期間で、できることをやらないといけない。
いなくなった父に思いを馳せるよりも、その父の死を事務処理上でも完結させるための方に気持ちが行きっぱなしだった。
死者を死者たらしめる方に邁進しているのだから、なんだか腑に落ちない。「もし生きていたら」という夢想なんてこれっぽっちもなく、これでもかこれでもか、と死をいろいろな手続きで確定させていく。
正直、申し訳ないという気持ちがずっと消えなかった。
そこで痛感したのが、我が家の「一極集中」という脆弱なシステムだ。
母は父の死に際して、完全にお手上げ状態だった。
専業主婦として長年連れ添い、家事育児に邁進してきた母だが、対外交渉や大きなお金の管理はすべて父親の仕事だったからだ。
夫婦のどちらか一方がすべての主導権を握っているというのは、平時は効率的だが、有事にはリカバリーに苦労する。
特に高齢者ともなると、なおさらだ。
母親は父の死を悲しんでいるだけで、事務処理はまったくできなかった。
認知能力はしっかりあるから、僕ら兄弟としては「じゃ、あとは任せたよ!」とお任せできると思っていたのだけど。
「なーんにも、わっかりっませーん」
そう言って両手を広げてみせて、自分で事務をすることを放棄してしまった。
このババア、と思いたくもなるが、80を過ぎた母に今さらレクチャーするほうが手間だ。
むしろ「わからないから、やらない」という態度のほうが、オレオレ詐欺への防衛策としては正しい。
我が母は、ある意味で強い。
自治体も「不幸があったときにはこれを読め」というわかりやすくまとめたハンドブックを用意してくれているが、とにかくやることが多い。
僕は一日で役所の各課を数カ所巡り、水道局にも行き、役所仕事を一日で終わらせようとしたけど終わらなかった。
年金は予約をとって年金事務所に行け、できれば配偶者が行け、という話で難儀する。
こっちは今すぐ終わらせたいんだ。
東京に戻るまで時間がないんだ。
もちろん「配偶者」は実家にご健在だが、その人を年金事務所まで行幸させるとなると一苦労だ。
結局、委任状を書いてもらって息子が代理で行くことになる。
この手の「(死亡した)名義人の、配偶者の、代理人」という三重構造の手続きの面倒ったらなかった。
マイナポータルで全国共通委任状フォーマットでもあれば楽なのだが、そんな仕組みは今後もできないだろう。
死んだ父の配偶者が母であることを証明し、僕ら兄弟がその子であることを証明するために戸籍謄本を揃える。
いちいち用意していると、お金もかかるし準備も手間だ。
兄貴はついに音を上げて、わざわざ法務局に歴代おかでん家の戸籍謄本と戸籍抄本一式を持ち込み、「法定相続情報証明制度」に基づく「法定相続説明図」を作ってもらった。
この紙ペラ1枚あれば、銀行窓口での「お前、誰だよ」という不毛な議論をスキップできる。
文明の利器ならぬ、制度の利器だ。ただ、この説明図を作るだけでも、何度か手戻りが出て兄貴は難儀していた。
・・・というわけで、僕は決めた。
70歳を過ぎたら、電気ガス水道、あらゆる名義をいしに変更する。その手前で、子供二人と一緒にいしの扶養に入って健保組合にも入れてもらう。
なぜここまで徹底するのか。
それは僕がケチ臭い性格だからだ。
せっかく死ぬのなら、最大限に悼んでもらいたい。
「ああ、いい人だった」と思い出に浸る時間を、残された人たちに提供したいのだ。わざとらしく、じゃなく、あくまでもナチュラルに。
そのためにも、死後の事務手続きで遺族が忙殺、というのは最悪だ。「あの野郎、解約しづらい変なサブスクばかり残しやがって!」と毒づかれるのは、僕のプライドが許さない。
事務処理の負担と、悼んでもらえる総量は、見事なまでに反比例するのだ。
これからの僕の人生、死ぬまでの「根回し」が僕のメインプロジェクトになるだろう。
分散している金融機関の集約、サブスクのリスト化、あらかじめ名義の変更。
「これを読めば、僕の死後は粛々と手続を進めるだけでいい。心配はいらない」
そんなマニュアルを作り上げること。それが夢であり希望だ。
僕ら兄弟が必死に事務作業を行っている傍ら、母親は空を見上げて
「おーいお父さん、我が家は元気にやってますよー」
と涙を流していたかと思えば、急に「あっ、大谷翔平がそろそろ出る時間だ」といそいそとテレビに向かう。
居間に大音量で流れるMLBワールドシリーズ。
正直、うるさいから静かにしてほしい。
気が散ってタスクが進まないではないか。
【余談】
話がややこしくなったのは、父の死をしばらく近親者以外に伏せていたことだ。
生前「虚礼廃止」を徹底していた父は、葬式もごくごく僅かな親族のみ。
町内会への訃報も敢えて死後一週間経ってからの事後報告だった。わざわざ香典持参とか弔問、という展開を嫌ったからだ。
おかげで喪服でウロウロするな、葬儀社の車を家の前に寄せるな、という隠密作戦。葬式後の事務処理も、手続きを進めると噂が広まるのではと、順番には非常に気を遣った。
銀行口座がロックされたら困るから内緒にしておきたかったのでは、って?いやそれは違う。葬式に参列した親族の中に、地元金融機関勤務が2名もいて、故人のお金をポッケナイナイする隙はなかった。そこだけは誤解されないように強調しておく。
この一連のゴタゴタに、「死諸葛走生仲達(死せる諸葛生ける仲達を走らす)」だな、と兄貴は苦笑した。
(2025.11.23)

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