半世紀ぶりに登場した、親子で引き継がれる服

弊母親は物持ちがよく、「なんでこんなものが未だに?」というものが時々残されている。

思い切りよくエイヤーと捨てるときは捨てるけど、思い入れがあるものは時空を超えて保存しているから不思議だ。

服がまさにそう。

弊息子のお宮参りにあたって、僕と兄貴が着た(=ほぼ半世紀前の)着物が実家から送られてきたのにはびっくりした。親(僕の祖父母)から贈呈された刺繍が入った立派なものなので、捨てるに捨てられなかった事情はわかる。とはいえ、半世紀も保存しておくとは。

僕の兄には娘が二人いる。娘なので、男児用のお宮参り衣装が使われることはなかった。で、どら息子の僕はどうやら結婚しなさそうな気配なので、家の大掃除の際にでも廃棄していても良かったはずなのに。まさか、兄貴の娘の、さらに子供が生まれたとき用なのだろうか。

お宮参りで着たその服は、またご丁寧に実家に送り返された。どうするんだこれ。このまま寝かせて、1世紀越えを狙うことになるのだろうか。

正月、僕は母親に「眼福、って言える時期は限られているので、着せたい服があるならば今のうちに着せておかなくちゃ」と語っていた。

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そうしたら、実家から段ボールが送られてきた。中を開けると、そこには新たなる刺客としてまた半世紀前の服が出てきたから驚いた。

今度はよそ行きの服ではなく、半世紀前に弊母親が手編みした毛糸のセーターだった。こんなものまで丁寧に保管していたのか!

せっかくなので着せてみる。

すでにサイズが小さく、襟に頭をくぐらせるのにずいぶん苦労したけれどかろうじて装着完了。

すごいなこれ、0歳児の子育てをしながらせっせとこれだけのものを編んでいたのか。一体どのくらいの時間がかかったというのだろう。これは半世紀ぶりに日の目を見る価値があった。ありがとう。

ただ、謎なのはセーターだし長袖なんだけど、半ズボンということだ。下半身が冷える。裾まで編んでいくことにギブアップしたのか、それともこういうコンセプトなのか。

いずれにせよ、母の愛というのはかくも深いのか、と今更ながら半世紀前の自分が受けた寵愛に思いを馳せた、一着だった。

(2022.01.18)

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