
ちょっと前まで、子どもと親は食べるものが違って当たり前だった。子どもの食事は食べやすいように細かくカットされ、薄味に調理された「特別仕様」だからだ。また、栄養バランスについては親の食事以上に気を配り、子どもの食事の方が品数が多い、ということもあった。
しかし、弊息子タケが成長してきたこともあり、親とほぼ同じものを食べるようになってきた。お味噌汁だけは塩分が強いので、親の味噌汁よりも薄めてあるけれど、それ以外はだいたい同じだ。
この状況を僕は、とても微笑ましく感じていた。しかし、だんだんと「これまでの食事とはゲームルールが変わってきたぞ」ということに気がついてきた。
というのは、タケが「自分が食べていないのに親が食べているもの」が存在することに気づき、親と同じものを要求するようになったからだ。特に、いったん「ごちそうさま」をした後に出てくる、親だけが嬉しそうに食べている「何か」・・・実際はお菓子・・・がどうやらいいものらしい、ということに気がついた。
ダイニングテーブルに身を乗り出し、乗り上げ、「これ!これ!」と指差す。そして「食べたいよぅ」と甘えた声を出す。彼にとって見たことも食べたこともないような食べ物であっても、親の雰囲気で「美味しいものかどうか」がわかるようになってきた。
本日の食後のデザートは、新宿花園万頭で買った「ぬれ甘なつと」。
「納豆」はネバーッと糸をひく大豆だけど、「甘納豆」は違う。甘納豆は小豆を水飴とグラニュー糖で甘く炊いたものだ。
見た目が地味なので、さすがにタケは興味を示さないだろうと僕らは思っていた。しかし驚いたことに、これも彼は「食べたいよぅ」と言い、さらには「かーしーてー」「いーいーよー」と一人で勝手に依頼と了承をして食べ始めてしまった。
一度食べると、もう止まらない。次から次へと食べようとする。高価なものだという理解がまったくないので、鷲掴みにして食べようとする。おい、ちょっとまってくれ。これ、ピーナッツを食べる感覚でどんどん食べるものじゃないんだ。
あわてて彼の取り分をちゃんとわけて、残りは片付けた。
子どもの前で大人だけコーヒータイムを楽しむ、というのはもうできないのだろう。ちゃんと親子で食べられるよう、用意するお菓子の数量と値段を考慮しないといけない。
(2023.01.29)
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