今年もこどもの日に備えてかぶとを飾る

日本では、5月5日が「こどもの日」だ。古来から、侍が着用するかぶとを飾ることで、子どもの健やかな成長を願うというのが慣習になっている。

昨年は、ロシアによるウクライナ振興が勃発した後ということもあり、戦いに関するものを飾るというのは時代錯誤ではないか、というポリティカル・コレクトネスに配慮した気持ちが僕にはあった。そのため、よろいを飾るべきかどうか、若干の躊躇があった。

しかし今年は、よろいをリビングに飾った。

戦争に対する感覚が麻痺したのではない。戦いに対するものを飾ることへの心理的抵抗感は、相変わらず僕の中には残っている。しかし、そういう表面的な正義感を大事にするよりも、このよろいが世代を越えておかでん家で受け継がれているという事実を大切にしたい。

このかぶとは、僕が生まれたときに僕の祖母が贈ってくれたものだ。サイズはあまり大きくないが、立派なものなのでかなりの出費だったと思う。それだけ、僕が生まれたことを祖母が喜んでくれたのだろう。そして今、そのかぶとが弊息子タケに受け継がれている。かぶとがおかでん家にやってきて、49年目。半世紀にわたる、家族の愛情がここにはある。

そしてこのかぶとは、もしタケに子どもが生まれ、それが男の子だったらまた引き継がれていくことになる。

使い捨てされていく商品に囲まれて生活している現代社会の僕たち。「前の世代から受け取り、次の世代に引き継ぐ」というものはほとんどない。かぶとは数少ない、世代間リレーのバトン役だ。

昨年、かぶとは家の中で一番高いところにある棚に飾られた。歩くことができるようになった1歳児のタケが、かぶとに興味を示して触ることが予想されたからだ。

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それが今年は彼の手に届く場所に、堂々と置いてある。それでも、彼は一切かぶとを触ろうとしなかった。自制心というのを彼が身につけた証拠だ。こういうところで、彼の成長を感じることができる。

なぜ彼が「かぶとを触らない」という自制心が働くのかというと、おそらく保育園にもかぶとが飾ってあるからだろう。触ろうとする園児たちに対して、先生が何度も何度も、「触らないでね」と声をかけていたはずだ。それで彼は「かぶとは触ってはいけないものだ」と学習したのだと思う。

(2023.04.21)

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