「阿知の藤」を見に倉敷へ

岡山県倉敷市の、通称「美観地区」すぐ脇にある小さな山、「鶴形山」。その山の中腹に「阿知の藤」と呼ばれる、老木の藤の木がある。岡山県の天然記念物に指定されていて、樹齢は300年から500年くらいらしい。

あまりに老木のため、春になっても花を咲かせることが難しくなっていた。そこで3年がかりで職人さんが藤の木の手入れを行い、今はまた花を咲かせるようになったという。

僕ら夫婦は、この「阿知の藤」のすぐ隣にある阿智神社で結婚式を上げている。ゆかりがある土地なのだけど、肝心の藤の花が咲いているのを見たことがない。そもそも、僕らは藤の花が咲いている時期に倉敷を訪れることが少ないからだ。

今年は5月に倉敷を訪れたので、これを機会に藤の花を見に行った。

山の麓からだと徒歩10分かからない程度で、石畳と石段が整備された道だ。お寺と神社の参道なので、歩きやすい。

ただ、弊息子タケはすぐに「抱っこ!」と叫んで僕の足にしがみつく。

彼はいつも僕に抱っこを要求する。家族三人でお出かけしていても、抱っこを求めるのは100%、僕に対してだ。

「なにそれ、ずるい!」と母親であるいしはタケが僕を選ぶことに対して嫉妬する。なぜ、こんなにも僕に抱っこを要求するのかは、未だに原因が不明だ。今では、いしがタケを抱っこしようとすると、手でいしの顔を押しのけて暴れて嫌がるようになった。

骨格ががっちりしている父親のほうが、抱っこされていて安定感がある、と彼は感じているのかもしれない。または、身長が高い父親のほうが、抱っこされている時に視界が広くて楽しい、と感じてるのかもれない。

寝る時の添い寝は、僕だと全く受け付けない。100%、いしが添い寝しないと彼は寝ようとしない。眠たいのにいしが寝室にいないと、彼は眠たすぎて「ネンネしたいよぅ」と泣き始めるくらいだ。

なので、僕にばかり彼がなついている、というわけではない。彼なりに冷静にTPOをわきまえ、「このときは父親に甘えよう、別のときは母親に甘えよう」と使い分けているようだ。

上の写真は、母子が仲良く歩いているように見える。しかしそれは顔の部分にモザイクがかかっているからで、実際にはタケは涙を流しながらこっちに走ってきているところだ。

というのも、僕がいしとタケが道を歩いている写真を撮りたくて、抱きかかえていた彼を地面に下ろして僕だけ少し先に進んだからだ。たったそれだけで彼は「抱っこー!」と泣き叫びながらこっちに走ってくるのだった。

彼の感情は瞬間湯沸かし器と一緒だ。よくもまあ、このわずか1秒2秒で涙が流せるものだ、と感心させられる。

阿知の藤を見たあと、すぐ近くの阿智神社にお参りする。

「ほら、ここがお父さんお母さんが結婚式を上げたところだよ」とタケに説明する。もちろんタケは「結婚式」ということを全く理解できないので、無反応だ。

それよりも、「公園は?公園ー」と言って、周囲に遊具がないか探している。

この神社の境内だって、その気になればいろいろ草木や昆虫を探すのに楽しい場所だと思うんだが、彼にとっては公園に近い場所とさえ思えないようで、面白くない場所のようだ。

でも、彼は「あっ?」と声を上げて空を指さした。

見上げてみると、鯉のぼりだった。

ああー、そうか。こどもの日といえば、鯉のぼりを飾るというのも日本文化で存在したな。

「かぶとを飾る」ということばかり気を取られ、鯉のぼりのことをすっかり、100%、考えてこなかった。

100円ショップで探せば、ごく小さくて簡単な作りの鯉のぼりが売られていると思う。そういうのを家に飾ってもよかったな。または、鯉のぼりが描かれた手ぬぐいを買ってきて、垂れ幕状にして壁に吊るすというのも楽しいインテリアだ。

僕ら夫婦がまったく鯉のぼりのことを忘れていたのは、自宅周辺で鯉のぼりを飾っている家が一軒もないからだ。日常生活で目にする機会が一切無かったため、想像力が働かなかった。

とりたてて住宅密集エリアでもない、マンションも戸建て住宅も混ざっている土地に住んでいる僕らでさえこの状況だ。タワマンが林立する東京湾岸エリアに住んでいたら、本当に鯉のぼりを見る機会はないだろう。

鶴形山を下り、美観地区を歩く。

「階段を歩くのはアスレチックみたいで面白いぞ」

などと言って、僕は彼が歩くモチベーションを高めようとする。でも彼の答えは「抱っこ!」だ。

まさか13キロの重さがあるものを抱っこして下山することになるとは思わなかった。これからの登山に向けて良いトレーニングになったかというと、むしろ逆効果だった。というのは、抱っこというのは体のバランスが悪い姿勢だからだ。おかげで足を軽くくじいた。

平地に降りても彼は抱っこを要求するので、僕は彼を肩車して運んだ。彼は肩車に対して何も文句は言わない。「肩車より抱っこの方が良い!」と暴れないので、お父さんに抱かれるのが嬉しいのだ、という感覚があるわけではなさそうだ。やっぱり、単に高いところから景色を見下ろしたい願望で、彼の両親のうち背が高い僕のほうに抱っこをせがんでいるっぽい。

(2023.05.03)

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