マタニティペインティングの理想と現実。4歳児の筆致と拭えない「便所の落書き」感

世の中には「マタニティペインティング」というキラキラした文化があるらしい。

安産祈願?として、膨らんだお腹に可愛らしいイラストを描くアレだ。
写真館の柔らかな光に包まれ、白い布を纏った妊婦が微笑む・・・そんな「映え」の極致のような世界。
我が家も、せっかくの機会だしやってみようということになった。

最初は水彩絵の具で描こうかと思ったのだが、ふと手が止まった。
果たしてこれは、妊婦の肌に塗って良いものなのだろうか。
特に我が家にあるのは、100円ショップで調達した出自の怪しい代物だ。
万が一、皮膚から妙な成分が吸収されても困る。

結局、Amazonで「フェイスペインティング用」の絵の具をポチった。

口紅のように底をひねると、クレヨンのようなカラースティックが出てくるタイプだ。
これなら安心だろう、と。

描画担当は、弊息子タケ(4歳)に一任することにした。
弟が生まれることに対して、もっと能動的にワクワクしてほしい。
この状況を主体的に理解し、自分なりのアクションを起こしてほしい。
そんな、親らしい教育的配慮というやつだ。

ゆえに、クオリティは最初から放棄していた。
もともと絵が得意ではないタケが、慣れないスティックを手に、球体という難易度の高いキャンバスに挑むのだ。まとまりがつかないのは目に見えている。

実際に描かせてみて分かったが、このフェイスペインティング用の絵の具、とにかく小回りがきかない。
そして、肌への色の乗りが思ったより悪い。
おそらく、頬に国旗をデカデカと描くような「大胆な筆致」専用なのだろう。
繊細な線など、最初から想定されていない仕様だ。

タケの描画は、迷いがなかった。
当初は、お腹の面積を僕とタケで半分ずつシェアする予定だったのだが、奴は止まらない。
気がつけば、お腹の隅々までスペースを埋め尽くしている。
おまけに奴は、ご丁寧に「空」と「地面」を描き込むスタイルを貫いた。
結果、上下左右に余白が一切なくなるという、密度の高いカオスが完成した。

僕が入り込む余地は、ほとんど残されていない。
「背中に描くか?」とも思ったが、それでは写真に写らない。
仕方なく、隅っこのわずかな隙間に、今日の日付と妊娠週数を書き入れるにとどめた。

しかし、いざ文字を書き入れた瞬間、僕は奇妙な感覚に襲われた。
なんだろう、この猛烈な背徳感は。

急に、このお腹が「便所の落書き」に見えてきたのだ。
愛する、妻いしに対してなんだか申し訳ない、後ろめたい気持ちでいっぱいになる。
なぜだ。日付を書くことが、なぜこれほどまでに不謹慎に感じるのか。

自分の思考回路を冷静に分析してみた。そして、ある記憶に行き着いた。

昔見た、エロ漫画だ。

「肉便器」などという、救いようのない蔑称を与えられた女の子のお腹に、あられもない言葉や記号が落書きされている・・・あのアレだ。
当時、若さゆえに性欲パンパンだった僕でさえ、「これはちょっと・・・」と引いた、あのシチュエーション。
「いや、読んでる時点でお前も同類だろ」というツッコミは甘んじて受ける。
だが、その記憶の断片が、目の前の「幸せなはずの家族の儀式」にオーバーラップしてしまったのだ。

「人のお腹に文字を書くというのは、背徳感があるものだね」
といしには伝えたが、その背後にある具体的な「元ネタ」については、墓場まで持っていくことにした。

マタニティペインティングの撮影が難しい、ということは今回初めて知った。人の顔以上に立体的な、球体の被写体なので、お腹のてっぺんにピントをあわせると側面はボケるし、暗くなる。

カメラ用の照明を正面から当ててみたのだが、膨らんだお腹のサイドに深い影が落ち、陰影が強調されすぎてしまった。
写真館のあの「ふんわり感」は、複数の照明やレフ板を使って陰影を殺すことで成立しているのだな、ということを学んだ。

あと、そもそも多くのマタニティペインティングは、お腹の一部だけをペイントする。我が家みたいに、180度に渡って絵を描くということはしない。それにはちゃんと意味があるということも、今回の学びだった。

結果として残ったのは、キラキラした記念写真ではなく、何かの儀式で生贄に捧げられる直前の、呪術的な記録写真だった。

まあ、「映え」を求めてこのイベントを始めたわけではない。
今のこのカオスを楽しむことが目的なのだから、これはこれで正解なのだろう。
たぶん。

(2025.12.13)

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