
ふるさと納税の返礼品というのは、時に家庭の冷凍庫に爆弾を送り込んでくる。
以前、贅沢をしようと「ジビエ詰め合わせ」を頼んだことがあった。
同梱されていたイノシシや鹿といったメジャーどころの肉は、我が家の食卓で早々に美味しく消費されたのだが、最後の最後まで袋の奥底で異彩を放ち、誰も手をつけられずに残ったやつがいる。
ウズラだ。
何にびっくりしたって、そいつが「丸ごと」の姿で入っていたからだ。しかも、1匹ではなく2匹も。
解体前の圧倒的な「生きていたシルエット」を前にして我が家は完全に引け腰になり、結果、そのウズラは冷凍庫の奥深くで永久表土の一部と化すことになった。
それから、およそ1年近くが経過した。
冷凍庫の容量を圧迫し続けるアイスマンを前に、僕はついに意を決した。
いい加減、こいつを成仏させてやらねばならない。冷凍庫から引っ張り出し、ついに解凍の儀を執り行った。
目の前に現れた「ウズラの丸ごと」を見て、当時4歳児だった弊息子タケでさえ、あからさまに顔をしかめた。
手には取ってみるものの、その表情は完全に曇っている。
なるほど、幼児であっても、こういうダイレクトな命の造形を前にすると「情」という高尚な感情が湧くものなのだな、と僕は妙に感心してしまった。
いや、待てよ。
こいつ、公園のアリの巣を見つければ、なんの躊躇もなく砂を大量にかけて巣ごと生き埋めにする冷酷な一面を持っているはずだ。あのアリたちに対する無慈悲なジェノサイド精神はどこへ行ったのか。
アリの命は紙より軽いのに、鳥の形をしていると急にセンチメンタルになる。
幼児の倫理観の境界線というのは、実に興味深く、そして身勝手だ。
タケの複雑な視線を浴びながら、ウズラをグリルでじっくりと焼き上げた。
香ばしい匂いは漂うものの、いざ食卓に出してみると、これが猛烈に食べにくい。
とにかく骨だらけで、どこをどう齧れば肉にたどり着くのかがさっぱり分からない。
小さな体に果敢に歯を立ててバラしていくのだが、苦労の割に口に入る可食部位が絶望的に少ない。
「これはバリバリと噛み砕いだほうがいいのか、それともしゃぶるだけにして口から出したほうがよいのか」と悩むことばっかりだ。食べにくいったらありゃしない。
格闘すること数十分。
骨の周りのわずかな肉をしゃぶり尽くした結果、これが本当に美味いんだか、そうでもないんだか、よく分からないまま食事の時間が終わってしまった。疲労感だけがやたらと残る。
ふと、昔の記憶がフラッシュバックした。
以前、米軍基地で七面鳥(ターキーレッグ)を食べる機会があった。
その時も「なんだこの筋張って食べにくいデカブツは」と閉口したものだが、あいつは大味なりにガッツリとした肉食の満足感があり、最終的には「美味しかった」という記憶に着地していた。
しかし、今回のウズラに関しては、ぜんぜん良い印象が残らなかった。
小さすぎる鳥を丸ごといくのは、一般家庭のディナーとしてはハードルが高すぎる。
結論。
ウズラに関しては、僕らはもうあの小さな「玉子」だけでいいかな、と思っている。
(2026.02.06)

コメント