蒸しそば、焼きそば

カップ焼きそばのお湯を捨てながら、ふと思った。「これって、『焼き』そばじゃないよな」と。敢えて言うなら、蒸しそばだ。いや、煮そばというべきか。結局、普通のラーメンと違うのは汁が無いこと、ソースがかけられていること。ただ、それだけ。何一つ、焼いてはいない。

かといって、「焼きそば風そば」という言い方をするのも嫌だ。そばという単語を二回使わなくてはならないのは塩梅がよろしくないし、何よりもニセモノの象徴「○○風」というコトバを採用してしまっては、カップ焼きそばの威厳にかかわるってもんだ。きっと、製造メーカーのスタッフも「これは焼きそばじゃないんだけどナ?」とかちょっと後ろめたさを感じながら生産しているに違いない。きっと、そうだ。

では、真の焼きそばとは・・・と思いを馳せた時、実は自分自身、ほとんど「焼き」そばを食べていないという事に気づいて愕然とした。

いや、スーパーで3袋198円くらいで売られている、マルちゃんの焼きそば用中華麺でじゃっじゃっと作る事はある。もちろん、作った後は食べる。しかし、事前に炒めておいた「野菜炒め」パートの量をいつも作りすぎてしまい、大抵は狭いフライパンの中で麺と野菜炒めが四苦八苦して領土争いを繰り広げる始末。で、気がついたら何となくでき上がっているという状況。一見、麺を「焼いた」ようには見えるが、実際は野菜の蒸気で蒸されただけという気がする。

そうか、だからか。屋台の焼きそばに多くの人々があこがれるのは。あれこそ、真の「焼き」そばだからだ。家庭で作る「焼いたような、蒸したようなそば」ではない、リアルさがそこにある。火との格闘。焼け爛れるソースの香り。われわれはそこに食欲を超越した何かを予感しているのではなかろうか。

じゃ、自宅でも焼きそば作ればいーじゃん、野菜の量減らせよ、という指摘は当然あるだろう。でも、ついついキャベツ多めに入れてしまったりするのが家庭の焼きそばたるゆえんってヤツでして・・・。

(2001.02.17)

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