おかでん家は小さい子どもがいる関係上、地元の行政には大変にお世話になっている。そんな立場で、「ふるさと納税は素晴らしい!この自治体のあの返礼品は特にお得!」なんて声高にネット上で喋るのは褒められた行為じゃないと思う。
なので、昔と比べて、このサイトで「ふるさと納税」を話題にすることが減った。ふるさと納税を完全にやめてしまったわけではないが、少なくとも大っぴらに語る話題ではないと思っている。
それはともかく、ふるさと納税で食べ物の返礼品をいただくと、そのあとが大変だ。
冷凍品ならば、冷凍庫に眠らせておくことができる。しかし、せっかく全国各地のまだ見ぬ名産品・特産品と出会えるのだから、旬の生ものをいただきたい。そんな考えで果物だとか、旬が短い野菜だとかを送ってもらうことが増えたのだが、おかげで冷蔵庫がいっぱいになってしまった。
旬の生ものを送っていただく機会は、これまでもあった。それでも全然問題なかったのに、特に今年は届いたものの処理がしんどい。なんでだろうと思ったら、僕がやたらと深夜まで働くような業務内容になってしまったため、厨房に立つ時間が減ってしまったからだ。
あと、息子が3歳にもなると、手がかからなくなる一方で手間が増えることも多い。日常のお世話は自立できるようになった彼だが、自分の遊びに対して、すぐ「ほら、これ見て!」と親を呼び寄せる。で、親には理解できない、謎の世界観を嬉しそうに語る。その嬉しそうな様子を見ると、無下にはできないので「へえ、そうなんだ。すごいねぇ」といちいち相槌をうつ時間が必要となる。
そんな中で、よせばいいのに山菜詰め合わせセットを返礼品でお願いしてしまい、家に段ボールいっぱいに山菜が届いてしまった。これはさすがに僕は後悔した。暴力的なまでに量が多かったからだ。
山菜、といっても僕が大好きなふきのとうなんて入っていない。天ぷらに向いているのはコシアブラ、あと山ウド程度で、あとはアク抜きの手間を掛けてその後煮たりしなければならない。
山菜が困るのは、できるだけ早くアク抜きの処理をしないとどんどん黒ずんでくるし、しおれてきてクタクタになることだ。山菜を覆っている新聞紙にくっついて一体化してしまい、とても食べる気になれない場合もある。冷凍品と異なり、「暇なときに調理しよう」というわけにはいかない。
だけど、忙しさにかまけて、山菜が届いてから1週間近く冷蔵庫の肥やしにしていたのは事実だ。
なにせ量が多い。「ちょっとずつ、少しずつ」下ごしらえしていくのはそれはそれでタルいし、かといって全部一度に下ごしらえするのは量が多すぎる。
そもそも、山菜というのは、3歳児にとって人気の食材ではない。全く食べてもらえない、ということを前提に、山菜以外の料理も食卓に並べておかないといけない。そういう面倒くささがあるのが、僕が面倒に思っていた理由の一つだ。
できる限り山菜のアクを抜ききってしまえば、まだ3歳児でも食べられるかもしれない。でもそれはもう、山菜としての魅力が薄く、大して美味くもないでろでろの緑色の繊維質だ。そんなものを時間をかけて調理して、一体何になる?
さすがにそろそろ山菜の鮮度が限界かもしれん、という状況になってきたので、しぶしぶ調理に取り掛かる。
ふだんスーパーで売られている野菜が、いかに調理を簡素化させているものなのかを実感する。だって、「アク抜き」なんてしなくて良いものばかりなんだから。最近じゃ、ほうれん草でさえアク抜きをしなくて良くなってきた。
大量に入っていたワラビは、縦走とお湯で1日がかりのアク抜き。こんなに面倒な食べ物だから、中国産の水煮ばっかりが売られているんだな。
そんなわけで、山菜を作りまくったある日の食卓。
保存容器、ラップに包まれた器は全部山菜料理だ。あと、お味噌汁にも山菜が入っている。もう今となっては、どんな山菜が入っていてそれをどんな料理にしたのか、忘れてしまった。お皿を数えると、味噌汁込みで11品を作ったらしい。
安易に和食レシピでなんでもかんでも料理を作ると、その多くが「砂糖、醤油、酒、みりんで味付けをした煮物」になる。同じような色、同じような味になってしまっては困るので、それをいかにズラすかが頭の使いどころだ。
とりあえず、ごま油で炒めるというのは真っ先にやることで、それでも調理すべき食材が大量に余っていたら、鶏ガラスープの素と和えたりしてナムル風にしてみたり。
こういう料理を作ることは本来楽しみのはずなのに、今現在の僕だと「やれやれ、やっと食材が片付いた」という気持ちのほうが強い。今後、こういう生もの大量調達は控えたい。むしろ肉体的・精神的な負担になる。
(2024.05.15)
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