「爆発後の芸術を俯瞰する」はじめに

この文章は、2018年6月27日に書かれたものです。

このコーナーを始めるにあたって、過去の経緯と、僕のスタンスというのを書き残しておこうと思っている。

もともとの僕は、美術は嫌いではなかったものの、面倒くさくてほとんど触れてこないまま30代後半まで過ごしてきた。テレビ東京の長寿番組「なんでも鑑定団」を初期の頃から見ていたけど、途中で多忙のためやめてしまっていた。

何故美術に対して僕が距離を置いていたのかは、いくつか理由がある。

過去を振り返ると、出身地である広島市に、ワクワクさせられる美術館が少なかった。

広島市の美術館といえば、広島銀行が母体となる「ひろしま美術館」と公営の「広島県立美術館」、そして「広島市現代美術館」がある。ひろしま美術館は今思えば頑張っているコレクションだと思うけど、少年おかでんからするとひらすら眠かった。県立美術館はそれ以上に、建物の外に出たら何が展示されていたかさえ忘れるレベルで面白くなかった。

子供の頃、こういう原体験を何度も繰り返してしまうと、大人になっても美術から疎遠になるのは仕方がないことだ。

ただ唯一の救いは、広島市現代美術館が大学時代の僕にはとてもフィットしたということだ。ありがとう広島市。

アワレみ隊の仲間とかと何度もここを訪れては、「わたしと現代美術」というお題を設定し、大喜利形式で写真撮影会を開いたものだ。また、館内の展示を見て、みんなで「作品のタイトル当て」をやったりもした。当時は今以上に現代美術がアバンギャルドで、意味不明なものが多かった。なので、「タイトル当て」というのはとても難しく、みんなであーだこーだと議論するというのは一種の美術評論だったと思う。で、結果として作品タイトルが「無題」だったりして、みんな怒って「なんだその責任放棄は!ちゃんとタイトルを付けろ!」と叫んだりもした。

大人になってみて回りを見渡すと、「アートに理解がある私」ということをオシャレの一つとして捉えている人が一定数存在するのがとても気になった。そんな人は、僕に「たまには美術でも見たらどうかね」なんて偉そうな口をきく。さらには、「美術に関する知識」を、人をマウンティングするための武器として使う人もいた。「なんだ、この作家のことも知らないのか。常識だろ」とか。

そういうのを体験してしまうと、あまのじゃくな性格な僕は「絶対こいつらとは同じ道を歩まねぇ」と思うようになる。美術と久しく距離を空けていたのは、こういう理由だ。

そんな中、美術鑑賞が趣味である僕の両親、特に父親が何度も息子である僕に忠言をしていた。

「東京は日本でもっとも美術を鑑賞できるところだ。日本で東京のような場所は他にはない。せっかく東京に住んでいるのだから、どんどん美術館や博物館に行きなさい」

と。

なるほどもっともだ、と思ったけど、なかなか尻が重くて持ち上がらなかった。そうしてかれこれ10年以上この言葉を言われ続け、ようやく重い腰が持ち上がったのが2012年初冬だったと思う。ここから、僕の美術鑑賞遍歴が始まる。

2013年春、僕にとって一生にかかわる転換点があった。それまで愛してやまなかったお酒を、このときを境にきっぱりとやめてしまったことだ。

これにより随分楽しみが減ったのは事実だけど、「夜になると酒が待ち遠しい」という生活から解放され、フットワークが軽くなった。酒を飲んでふんわりしている時間が丸ごと空き時間になったので、その分を美術館巡りに振り向けるようになったのだった。

とはいっても、このメガロポリス東京のどこに美術館があり、どんな展覧会が開かれているのかというのは全くわからない。そこで頼りにしたのが、webメディアの「TIMEOUT TOKYO」というサイトだった。これは、東京の今ホットな話題やイベントを取り上げる、という大人向けかつアーバンなサイトで、東京界隈の美術館やアートギャラリーの展覧会情報もほどよく網羅されていた。

「美術を使って他人をマウンティングするような人間にはなるな」。

僕は2018年の今でもそう思っている。美術館巡りを始めたばかりの2013年当時はなおさらだ。だからこそ、上野にあるような有名どころの美術館よりも、できるだけ無名な、聞いたこともないようなアートギャラリーを訪れ、現代作家さんの作品を見ることを目指した。TIMEOUT TOKYOはその良き羅針盤になってくれた。(最近は使い勝手が悪いサイトになってしまい、ほとんど活用しなくなった。残念なことだ)

話はすこしずれるが、僕には食べ物の好き嫌いがない。もちろん昔は嫌いなものもあったけど、今は特殊な食べ物でもない限り、食べることができる。というのも、「これが料理・食材としてこの世に存在しているということは、美味しいと思っている人がいるからだ。おいしく思えないのは、自分が未熟だからだ」と思っているからだ。なので何度も繰り返し食べ、まずさ(?)の中からうまさを見つけ出すようにしてきた。

それと美術も一緒だと思う。意味不明で退屈な前衛作品であっても、有名すぎて手垢がついたような古典作品であっても、分け隔てなく鑑賞し、辛抱強く見ていればどれも素晴らしく感じてくるかもしれない。

「あっ、そういうことかぁ!」と作品の良さに気付いたその瞬間を記録に残しておこう、と心に決めた。

幸いここは東京。一度見て理解不能でも、何十回も繰り返し見ていれば、だんだん良さがわかってくるかもしれない。ギャラリー密集地である東京だからこそできることだ。

ギャラリーの多さといえば、本当にびっくりするくらい東京にはギャラリーが存在する。その多くは、雑居ビルの中とか、湾岸の倉庫街とか、路地裏とか、マニアックな場所に存在する。外から見ても、それとは判別できないところがなんと多いことか。そういうギャラリーをオリエンテーリング感覚で探し当て、巡るというのも楽しみの一つとなった。

また、そうなってくると「一日でどれだけのギャラリーを巡れるか?」というスタンプラリー欲が芽生えてくる。その結果、事前に綿密に計画を練り、1日で十数軒ものギャラリーを巡ることさえあった。

「一度にそんなに見て回ると、記憶がぼやけるでしょう?」と人から言われる。はい、実際その通りです。でも、文章でこの展覧会の感想を残しておこう、と身構えているので、単にぼんやり見て回っているわけではない。なので、このコーナーがあるおかげで、僕は「単なるギャラリーオリエンテーリング」ではなく美術鑑賞をすることができている。

あと、致命的に美術の知識がない僕にとって、一つの絵をじっくり、ゆっくり見るよりも「ひたすら沢山作品を見る」方が大事だと思っている。何百、何千、何万と絵を見ていれば、だんだん自分の感性が底上げされていくのではないか?そういう気がしている。同時に、僕が嫌う「頭でっかちな美術」から遠ざかることができる。

このため、一日のうちに陶芸を見たかと思ったら印象派の絵を見て、返す刀で建築展、みたいなムチャクチャな組み合わせの行脚ということもザラにある。見る内容がごちゃまぜであればあるほど、多様性があって僕にとってはごちそうになる。

そんなわけで、僕が美術館・アートギャラリー・博物館巡りを本格的に始めて1カ月ほど経った時点で連載を始めたのが、このコーナーの記事となっている。2013年9月から連載は始まっている。

当時は、アワレみ隊OnTheWebのFacebook版、「アワレみ隊OnTheFacebook」専用のコンテンツとして隔日連載でやってきていたが、Facebookからの撤退を考える中で2018年6月から、アワレみ隊OnTheWebの1コーナーとして扱っていくことにした。

あらかじめ言っておくが、この連載記事をいくら読んでも美術の知識は身につかない。そんなものはそれこそ「TIMEOUT TOKYO」をはじめとする展覧会紹介のサイトや公式サイト、展覧会場で売られている図録などを読めばいいことだ。僕は、あくまでも「自分が何を感じたのか」ということを残すために、この記事を書いている。なので、他人にとってほとんど何の役にも立たないはずだ。

5年近くも、「アワレみ隊OnTheWeb」の1コーナーに昇格しなかったのは、「あまりに私的な内容なので、コーナー化するほどのレベルではない」と思っていたからだ。その気持ちは今でも変わっていない。

しかし、あまりにコンテンツ量が膨大になってくると、外部のサービスに自分の著作物が置いてあることが不安になってきた。

たとえば急にFacebookが「サービスを廃止します」と宣言したらどうなるのか、とか、「すいませんサーバが落ちました。データ復旧無理っす。でも無料サービスなんだし、文句言わないでね」とか。

なので、この際思い切って過去のコンテンツ全部ひっくるめて、このサイトに移植することに決めたのだった。

ちなみに、僕個人のFacebookアカウントに投稿している文章は、「俺は見た」というシリーズでこのサイトに移植されている(「思考回路のリボ払い」内)。

話が長くなった。

そんな背景をもとに、このコーナーが成り立っているということをあらかじめ知っておいて欲しい。

5年も前の記事から移植をスタートさせるのは、これが「おかでんの成長記」でもあるからだ。年とともに、回数を重ねるとともに、だんだん作品理解や表現方法が変わってきているはずだ。もしこのコーナーの記事を読んでみよう、と思った人は、そういうところに興味を持ってもらえるとありがたい。書いている内容そのものは、全く美術評論ではないのだから。

このコーナーのタイトルは正直どうでも良かった。適当に「美術・博物館巡り」くらいでもよかった。しかしそうすると、BS日テレでおぎやはぎと山田五郎がやっているTV番組「ぶらぶら美術・博物館」と名前がかぶってしまう。

面倒くさいので、「芸術は爆発だ!」と叫んだ岡本太郎の名言にちなんで、「爆発した芸術を俯瞰する」という名前にした。深い意味なんて何もない。「さらっと、流し見しかしない」ということへの自虐の意味を込めて、「俯瞰」という言葉を使ってみた。

天才でごめんなさい展

最後に。

ぼちぼち美術館巡りをはじめていた2012年。このときにたまたま見た「会田誠展 天才でごめんなさい」が僕を初めて興奮させた美術展となった。僕のその後脈々と続く美術鑑賞のきっかけは、会田誠だ。

(2018.06.27)

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