英語版サイトをクローズ
昨年だったか一昨年だったか、このサイトは英語ページを作成して多言語対応を図った。
本当は、その勢いを駆って中国語、スペイン語、フランス語対応までやろうかとも思っていたのだけど、英語版サイトを数百ページほど作ったところで中断していた。
そして今回、この多言語対応を完全に断念し、正式にこのサイトから完全抹消した。過去、僕が苦労して翻訳した英語の文章も、各種設定も、全部消滅だ。バックアップを取ることもしなかった。
個人ブログがオワコンであるのは論を待たない。そして、僕がこれまであちこち旅行してきた話は、時間の経過とともにどんどん陳腐化し、情報の価値は漸減していく。誰が10年前、20年前の旅行記を読むだろうか?「往時の世相を振り返る」といった歴史的価値くらいしかない。自分のこれからの旅行の参考にしよう、といった人はいないだろう。
しかし、日本語以外の言語に対応することで、日本に興味を持つ海外の人に読んでもらえるのではないか?新しい読者層が開拓できるのではないか?と僕は考えた。おそらくその考えはあながち間違っていないと思う。しかし、多言語対応にするための負担が大きすぎた。
僕がこのサイトをビジネス目的でやっていて、組織的にサイトを運営していてればリソースが割ける。でも、僕一人で、儲けにならない状態でやっていると、多言語対応をする暇が全然なかった。英語の文章を作っている暇があったら、まだまだ未執筆の過去の旅行記を早く書いたほうがいい。
僕自身、常日頃未執筆の記事が山積みになっていることに対してとても生きづらさを感じている。はっきり言って日々がプレッシャーで、日々がストレスだ。もし可能ならば、バーンと過去のみ執筆記事がすべてクリアになって、「ああ、もう書く記事が何もないや!」という日を迎えたい。どんだけ肩の荷が降りることか。
そんなわけで、英語化は負担でしかないのでやめた。
特に、「こりゃもうダメだ」と諦めたのが、昨年秋の「外語祭2024」に行ったときだ。世界各国の料理を家族3人で食べまくったのだけど、そのややこしい料理名を英語に翻訳するのは無理だった。「どうすればうまく翻訳できるだろう?」とあれこれ調べて、試行錯誤して英語名を割り当てるのを何十という単語に対してやらないといけない。苦労して益が少なすぎる。
多言語対応のためにいろいろ試行錯誤したのは、楽しかった。夏休みの自由研究みたいだった。大人になると、こういう「ゴールがよく見えない試行錯誤」ってやる機会が減る。なので後悔はしていないが、結果は残らなかったので少し残念ではある。
もっとDeepLやChatGPTが機械翻訳として大活躍してくれると思っていたのが誤算だった。こういう外部サービスを使って文章を翻訳するには、「アワレみ隊OnTheWeb」はあまりにも膨大な文章量だった。
以前、写真の表示速度を上げる目的で、写真を全部外部サイトに置こうとしたことがある。しかし、10万点を超える写真を処理するのに何十万円もかかることがわかり、結局1万円を溶かしたところでギブアップしたことがある。
良くも悪くも、このサイトは創立24年。そうだ、6月1日が創立記念日だった。コンテンツが膨大になってきたので、身動きがつきにくくなってきた。
ジビエビュッフェ、麻布台ヒルズ、屋形船等
短編の、旅行記のようなレポート記事のようなものを連発して掲載した一ヶ月だった。
「へべれけ紀行」の扱いにすると、これらの記事が掲載されるのは順番待ちのせいで数年先になってしまう。なので、「喰い地獄」や「思考回路」の扱いにして、とっとと掲載した。
他にも、「カエル鍋」なども掲載し、時系列が入り乱れる形となった。
今後の更新予定
「オカ・デウス」は更新頻度がみるみる減ってきた。書くのを抑制している、というより書くことがなくなってきたからだ。
子供の過去の写真を見ていて思うのは、「生後半年まではビックリ、生後1年までは尊い、生後2年までは可愛い、それ以降は大人のミニチュア版」ということだ。2歳をすぎると、自我がしっかりしてくるので、「我が子とはいえ赤の他人である」ことを意識しつつ、文章を書かなければならない。つまり、配慮が必要になってくるということだ。
弊息子タケ3歳。いよいよ習い事を始めた。そうなってくると、「教育方針」だの「子供のわがままに対する親の注意のしかた」などずいぶん生々しい話が出てくるようになってくる。下手なことを書くと、「子供がかわいそう」「教育として間違っている」「恵まれた環境自慢をしてるんじゃねーよ」などとあれこれ外部から批判がくるかもしれない。
まだ何者でもない、小さな子供を愛でるフェーズはもう終わってしまった。わずか3歳なのに。そしてそれは、おかでん家という社会的ヒエラルキーの中に弊息子タケも組み込まれ、望むと望まざると貧富や社会的格差の影響を受けるということだ。世の中は残酷だ。
一方、「へべれけ紀行」は、タケが生まれた話、そして里帰りする話まで連載が前進した。2021年春のできごとなので、まる三年遅れだ。
それでも、「オカ・デウス」をはじめとする各コーナーの文章でタケが登場しているのとようやく足並みが揃ったといえる。これまで、「へべれけ紀行」だとタケがいない世界が語られていたから。
これで少し気が楽になった。
今連載している、「里帰り」の話が終わったら、次は2024年の「のっとれ!まつだい城」の話を書く予定だ。いきなり時系列が3年すっ飛ぶけれど。
のっとれ!は、今後も僕らおかでん家は参加し続けることに決めた。なので、早く2024年版の記事を書かないと、2025年ののっとれ!が到来してしまう。
おかでんの近況
昨年夏から、深夜時間帯も含む残業が毎月結構ある仕事になった。1日16時間近く仕事をしていると、首が曲がらなくなってしまう。車を運転するとき、横の安全確認ができないので本当に危ない。
2024年4月からは、残業を意識的に減らそうと思っていた。少なくとも、社会保険料の算定に影響する4月~6月は残業を減らしたい、と。
しかし、4月の結果としては36協定で定める労働時間の上限にひっかかりそうなレベルで残業をしてしまい、真逆になってしまった。
僕が残業をしまくっていると、弊息子タケは「とうさんはいつも仕事をしている」という状況にすぐ適応してしまう。そのため、どんどん「おかあさーん」とママ頼りの性格になり、僕の家庭内地位が下がっていくのを実感する。これは悲しい。死にそうになりながら働いているのに、子供はそれを評価してくれないのだから。
深夜手当、休日手当もつくのでそれなりの稼ぎにはなるんだけど、こういう生活を望んでいるんじゃないんだよなぁ。
今日も弊息子タケは、夕食後に「とうさん、今日もこの後お仕事?いってらっしゃーい」と笑顔でさらっと言う。悲しい。
振り返ってみると、子供時代の僕は父親が苦労して仕事をしてきたことに対し、全く想像力を働かせられなかったし感謝もしなかった。親が働くのが当たり前であって、子供は養われて当然だと思っていたからだ。僕がそうだったのだから、我が息子もきっとそうなる。ましてや、僕がテレワークでパソコンにひたすら向かっている光景を見て、どれだけ子供は「お父さんありがとう!」と思ってもらえるだろうか?
ということで、4月はヘロヘロになりすぎて「今月のBGM」はなし。マジで忙しいときは、BGMなんて聞いている余裕がない。脳の片隅でも、そういうものにリソースを割きたくないので。
(2024.04.30)
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