港北ニュータウン、という場所がある。神奈川県の内陸部で、東海道新幹線新横浜駅から見て北西に位置する場所だ。
東京に住んでいる僕にとって、全く無縁の土地だった。そういえばここに住んでいる仕事上の知人がいたっけ、という程度だ。
数年前、所要で数十分程度この地に立ち寄ったことがある。その際、僕はとても衝撃を受けた。駅前を出たらずっと戸建ての住宅が並ぶ静かな街だと思っていたけど、予想と違ったからだ。
巨大なショッピングモール、駅前にそびえる観覧車、そして大勢行き交う人と、道路をバンバン走る車の量。そこはもう、一つの宇宙が構成されているんじゃないか、とさえ思った。自分の知らないところで、こういう世界が構成されていることにびっくりした。
「道理で、市営地下鉄が2路線も乗り入れているわけだ・・・」と納得すると同時に、「あなどれないぞ、神奈川県の内陸部!」という印象を強く持ったものだ。そう、この港北ニュータウンは、地下鉄2路線がXの字を描くように通っている。しかも、「センター南」「センター北」という2つの駅があって、これもシンプルな名前がゆえにワクワクさせられる名前だ。

そんなわけで、ある日僕はシェアサイクルを使ってこの街を散策してみることにした。
新横浜駅で自転車を借りてスタートし、港北ニュータウンを探検し、たまプラーザ、聖マリアンナ医科大病院を見て、小田急線新百合ヶ丘駅に向かい、そこから新宿駅まで小田急線の全ての駅を見て回るという半日旅となった。総行程50km超。
電動アシスト付き自転車なので、自分なりに楽しいミッションが設定できれば、どこまでも走り続けることができる。シェアサイクルは本当に楽しい。飽きたらどこか近くのステーションで乗り捨てればいい。だから、「行けるところまで行ってみよう」という気になれて、どんどん遠くへと感心が向かっていく。
で、港北ニュータウンですよ。
これが思ったとおりに楽しい。先日、多摩ニュータウンを自転車で探検した際、「こりゃあすごい!」と驚いたり感心したり写真を撮ったり、とにかく忙しくて楽しい時間を過ごすことができた。広島出身の僕が考える「団地」とは全く違う世界だったからだ。それと同じことがこの港北ニュータウンでも行われていた。
山の比較的なだらかな部分を切り崩して平らな部分を作り、そこに戸建て住宅を並べるのが広島の団地でよくあるパターンだ。しかしこっちの団地は違う。丘陵地帯全体を団地にしちゃう。山の1つや2つなんて平気でまたいで、相当広い範囲に家を建てちゃう。
なので、エリア一帯のアップダウンは結構ある。山をまたぐだけじゃない、谷だってまたぐ。なので、目の前の向こう側に渡るために陸橋があったりする。
モータリゼーションの到来を意識しながら街が恣意的に作られていったので、歩車分離が徹底している場所が随所にある。車は谷にあたる部分を走り、歩道は丘の上にある、といった作りだ。土地勘がないと、迷路みたいにも見える。車道と歩道が立体交差しているからで、行けると思ったところに行けなかったりする。
また、山の形にそって宅地造成されているので、平面の地図で見たら「ここ、あとほんのちょっとで向こう側に行けるはずなのに・・・」というところも行き止まりになっていたりする。こういうのを地図で見て、実際に行ってみて、「やっぱり行けなかった!」と確認するのは本当に楽しい。
写真は、都筑ふれあいの森駅からセンター南駅に向かう途中にあった歩行者専用道路。車は通ることができない。街路樹、と呼ぶには密集しすぎている木々が美しい。いいなあ、こういう場所。
住みやすいかどうかはよくわからない。でも、家庭に子どもがいるようになると、旅先で「この街に住んでいたらどういう人生を歩んでいたんだろう?」ということをよく考えるようになった。独り身のときでは考えなかったことだ。
こういう歩行者専用道路を見るだけでも、「ここで子どもを歩かせるのはいいな」と考えてしまう。そうなると学校はどこにあるのだろう?とか、図書館は?などといろいろ街の中の施設が気になってくる。
たぶん、まだ子どもが何者でもないからだろう。一人の大人として、子どもの親として、「まだ自分には選択肢がある(あった)」と思っている。これが子どもが小学生になってくると、人格が固まってくるし、その人格を持つ子どもと対等に接していくことになる。現状を受け入れ続けるので必死になると思う。
だから、まだ見ぬ街を見てワクワクしているのは、今だからこそなのかもしれない。今が最高の時期。
これが独身だったら、「もっと便利な場所がいい」とか「遊べる場所やお店はどこ?」みたいな発想だろう。子どもが生まれるまでの間なら、マジでこれからの人生どこで暮せばいいのか真剣に考えすぎてしまう。まだ「あー」とか「うー」しか言わない子どもがいる今だからこその、「今さら引っ越しはしないけど、もし引っ越ししていたらどうなっていたんだろう」という夢想。
(2022.06.19)
コメント