物欲のぬかるみに完全に片足を突っ込んだ僕は、深夜、家族が寝静まったリビングのダイニングテーブルでパソコンを開き、本格的な機材選定のシミュレーションを開始した。
次なる住処(マウント)をどこにするかは、家探しと同じくらいに慎重な計算が求められる。
僕の当初の想定は、富士フイルムの新鋭機「X-T50」へのステップアップだった。
しかし、手持ちのレンズシステムをどうするかという問題が、ずっと喉に刺さったトゲのように引っかかっていた。
現在僕が保有しているのは、XF35mm F2という単焦点と、XF18-55mm F2.8-4という標準ズームレンズの2本だ。
XF35mmの写りは本当に素晴らしい。
とくに晴れた屋外で子どもを撮ったときなどは、子どもの存在感と透明感の両立が、際立って綺麗に写る。
しかし、このレンズには手ブレ補正機能がついていないし、合焦スピードもややのんびりしているため、光量の足りない屋内撮影ではまったく使い物にならない。
おまけに35mm(フルサイズ換算で約53mm)という画角は、「これを撮るッ」と腹をくくってカメラを構えるときには良いのだが、遠景も近景も何かあったら即座に切り取りたいという欲張りな僕の撮影スタイルにとっては、制限が厳しすぎる画角でもあった。
結果として、日頃ほとんどカメラにつけっぱなしになっているのは、キットレンズであるXF18-55mmの標準ズームだった。
オールマイティでレンズ側に手ブレ補正機能がついているので、これまでは破綻なく日常を切り取ってくれていた。
もっとも、XF35mmのようにハッさせられる写真はほとんど期待できない。
しかも、これもやはり薄暗い屋内撮影にはあまり適さない。息子の予想外の動きを止めるには、どうしてもカメラ本体に「ボディ内手振れ補正」機能が必要になってくる。
カメラ本体だけの買い替えにとどまり、レンズはそのまま使い続けるというのが最もオーソドックスな道だし、僕もそれに異論はない。
だが、メインのズームレンズは写りがやや怪しく、写りの良い単焦点レンズは用途が限られる。
せっかく買い替えを考えるなら、もうちょっとこの「帯に短し襷に長し」の要素を解消できないものか。それがずっと引っかかっていた。
どうせ富士フイルムのXマウントレンズを買い替えるなら、いっそのこと最高峰である高品質の証、通称「レッドバッジ」を冠したXF16-55mmF2.8 R LM WR IIだな、と思い至った。
最高峰の大口径標準ズームレンズだ。もう、レンズ交換なんてやめて、これ一本で全部済ませちゃおう、と。
ただ、こいつがクッソ高い。20万円近くする。さすがレッドバッジだ。
欲を出してこういうレンズを買おうとすると、結局のところこういうレベルの出費を伴ってしまう。それなら富士以外の他社マウントに乗り換えても一緒だな、という身も蓋もない結論に達してしまった。
結局、フルサイズにそこそこのレンズを買うのと大して値段が変わらなくなってしまうじゃん。だから頭が混乱する。
だったら、憧れのフルサイズにステップアップするのもいい。
だが、山登りをやる身としてはデカくて重い機材はそれだけで明確なリスクだ。フルサイズのシステムは大口径のレンズも含めると総重量が簡単に1.5キロを超えてくる。
僕がAIに出した、「あたらしいカメラの希望」は、「室内でも子どもが撮影できること」「しっかりと解像すること」「持運びが容易であること」の3点だ。
この点についてAIに相談を投げかけたのだが、このデジタルな軍師は、富士フイルムの導入に対して一貫して反対の姿勢だった。
大抵、僕が何度も念押しすると主義主張を180度ひっくり返すクセに、どういうわけか「富士フイルムの導入」という一点においてだけは、最初から最後まで徹底して反対の姿勢を徹底していた。
AIがのたまうには、まず僕が希望した「バキバキに解像する画」という方向性について、富士フイルムは最新機種であってもそういう絵作りには作られておらず、悪く言えば眠たい画になって僕を失望させることになるだろう、という。
さらに、所詮APS-Cは光を取り込む量がフルサイズよりも少ないので、屋内での撮影には強くない。
本体内手ブレ補正がX-T50に付いていても、とっさに予想外の動きをする子どもを止まっているかのように撮影するのは難しいと言われた。ISOの数値が上がって、ザラついた画になったんじゃ、せっかくの子どもの肌感が損なわれるでしょう?屋内の子どもを撮りたいなら、X-T50ではない、と。
小さくて軽くて、薄暗い室内でも我が子の美肌をバキバキに解像して切り取れるフルサイズ。
そんな都合の良い選択肢を探していくと、自ずと答えは限定されてくる。
そうしてAIから提示されたのが、ソニーの「α7Cii」という具体的な型番だった。
ここで、ソニーのカメラに詳しくない人のために少し補足しておくと、ソニーのフルサイズ一眼(αシリーズ)にはいくつかの系統がある。
プロやハイアマチュアが使う王道の通常ナンバリング「α7」があり、超高速連写に特化したスポーツ・報道向けの「α9」「α1」といったフラッグシップ機がある。これらはどれも、カメラの中央にファインダーの山(ペンタ部)がそびえる、いかにも一眼レフ然とした堂々たる体躯をしている。
これに対し、型番に「C」を冠するα7Ciiは「コンパクト」をコンセプトにした派生モデルだ。
ファインダーの出っ張りを削ぎ落とし、中身は上位機種のα7IVと同等以上の最新スペックを詰め込みながら、ボディのサイズ感は一回り小さなAPS-C機並みに凝縮されている。
現在マーケットにおいて、この小ささでフルサイズセンサーを搭載しているミラーレスは、キヤノンやニコンといった他メーカーには存在しないため、必然的にソニーの「C」一択になるのだという。
しかし、僕の天邪鬼な反骨心がそこで素直に頷くわけがない。
α7Ciiはコンパクトさと引き換えに、ファインダー(EVF)が中央のペンタ部になく、レンジファインダー機のようにボディの左端に寄せられている。
これまで中央のファインダーを覗いて撮影してきた身からすると、レンズの光軸とファインダーの位置がズレているというその一点だけで、構えたときに強烈な違和感を感じそうだった。
どうせ大金を払うなら、それこそファインダーが真ん中にあるα7IVや、あるいはその先のα7Vにしてしまおうかという危険な思考実験が頭をもたげる。
効率化のために導入したはずのAIと向き合っているだけで、深夜の貴重な時間が数十時間も溶けていく。これこそ壮大な矛盾である。
ちなみに、少しでも出費を抑えるために中古市場で買うという選択肢も頭をよぎった。
だが、折しもの半導体不足の影響で新品価格が世界的に高止まりしており、それにつられる形で中古市場の価格も高騰している状態だった。
割安感がまるでない中古のプライスタグを前に躊躇していると、AIから冷徹なアドバイスが飛んできた。
「新品のカメラには、有償とはいえメーカーやショップ独自の最大3年まで延ばせる手厚い長期保証がつけられますが、中古だと原則として1年しかありません。おかでんさんは山の暴風雨のなかでもカメラを酷使し、過去に何度も機材を壊してきた実績があります。お前はどうせまた壊すかもしれないのだから、3年の保証は絶対につけとけ。中古はやめとけ。あと防塵防滴機能がないX-T50はやめとけ」
無機質な計算機にそこまで言われると、ぐうの音も出ない。
(つづく)

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