決戦の日がやってきた。
僕は長年酷使してきた富士フイルムのX-T20とレンズ2本をカメラバッグに詰め込み、マップカメラがある新宿へと向かった。
それから、手元にはメルカリで入手した「買取優待券」がある。
メルカリで探したら、送料込みで300円で手に入った。
これがあると中古の買取価格が3%アップとなる。今回売却予定のカメラやレンズのうち、どれがどれだけ値がつくのかは現時点ではわからないが、300円ならば十分に許せる出費だろう。
メルカリはアカウントを持っているものの、ほとんど使ったことがない。ややこしい値引き交渉に巻き込まれたり、不良品を掴んでしまったり、いろいろと面倒なことに遭遇するのがイヤだからだ。しかし、今回はその3%UPのシールのために、数年ぶりにメルカリにログインした。
それもこれも、少しでも高い値段で買い取ってもらって、新しいカメラを高額で買うことの免罪符にしたかったからだ。まさに僕の不安の現れである。
不安の現れ、といえば、新宿行きの前夜、僕はAIと「撤退基準」について熱心に相談していた。なにせ、店頭で買取価格が提示されたら、その場ですぐに下取りにするか、あるいは買い取ってもらうのを諦めるかを即答しなければならないからだ。
なにしろ、ソニーのキャッシュバックキャンペーンはこの日がタイムリミットなのだ。今日付けの領収書がないと、みすみす数万円のキャッシュバックを逃すことになる。だからといって、二に足を踏んで売却額を叩かれるようでは、今売るのが得策とは言えなくなる。
マップカメラは「ワンプライス買取」と名乗っているが、さすがプロ、実際の査定はそれなりに厳しいと聞いている。「ここに細かい傷があるからマイナス5,000円」みたいに、重箱の隅をつついた減点方式はありませんよ、という意味でのワンプライスであって、実際はレンズに微細な傷やカビなどがあったら、容赦なくワンプライス買取の対象から除外し、もっと安い並品価格での査定となるらしい。
購入時の付属品がついていないというのはもってのほかで、カメラ本体の場合は純正バッテリーとバッテリーチャージャーは必須。なければ当然のごとく減額される。
僕の場合、バッテリーチャージャーは手元に持っていない。「いらないよ、こんなもの」と過去のどこかのタイミングで捨ててしまったのかもしれない。なので、そのままではワンプライスで買い取ってもらえないのは確実だった。
そういう事情をAIに話すと、「下取り価格が総額で10万円を下回る場合は、即座に買取を中止して撤退しましょう。メリットはありません。あなたの現在の収入と支出のキャッシュフローを考えると、α7Ciiを無理して買うのは得策ではありません」とばっさりと言われた。
まあ、そうだろうな、と思う。しかし10万円というラインはなかなか厳しいぞ。ワンプライス買取という言葉に淡い期待を抱いてはいるが、とはいえ、実際はそうとう減額査定されるそうだ。そうしたとき、僕が果たして現場で未練を断ち切り、引くに引けるかどうか。
新しいカメラに買い替えるかもしれない、というワクワク感よりも、嫌だなあ、できればこの面倒な問題を先送りにしたいなあ、という気持ちが勝り、心がソワソワする。
マップカメラに向かう途中、ヨドバシカメラがあるので、そこでいったんα7Ciiを実際に触り、果たして大枚はたいてこれを買うべきかどうかを最終判断してみようと思った。何しろ、驚くべきことに僕はここまで一度も実機を触っていないからだ。スペックの数字だけ、AIとの会話だけで新しく買うカメラの検討をここまで進めていた。
「どうしようかな、マップカメラに早く行かないと、買取窓口は混雑して待ち時間が長くなると聞いたことがあるしな。でも実機を触らないでこんな高い買い物をするわけにもいかないしな」
と新宿の路上で一瞬逡巡していたら、それを見逃さない鋭い視線があった。ヨドバシカメラ本店前に佇んでいた、制服警官だ。
「ちょっといいですか。お話を聞かせてください」
職務質問だ! どうやら僕の立ち振る舞いが挙動不審に見えたらしい。これは最高に恥ずかしい。
辱めを受けたことに対して軽くショックを受けるとともに、僕は素直に引き下がるのが癪だったので、
「私のいったいどこが不審者に見えましたか? 何もやましいことはないのですが」
と逆質問を執拗にまくし立てた。
「これまで警察の人に声をかけられたことはありませんか?」
と聞かれ、「ありません」と答えたら、どうやら疑惑が晴れたらしい。
向こうがこれ以上追撃する気がなさそうだ、とわかったところで、「さあ僕がやましくないことを証明するからカバンの中でもなんでも見ろ」とばかりにカメラを取り出してみせたり、トートバッグの中から仕事用のパソコンを出してみせたりした。「刃物とか危険物は何もありませんよ。調べたかったらなんでも調べてくれ」と後出しジャンケンで強気の姿勢を示した。
カメラの買い替えを前に、プロの職務質問家でさえ「おっ、怪しい!」とおもわせるような挙動をしてしまう。それだけ僕が物欲と出費の恐怖に怯えていたのだろう。
さて、ヨドバシカメラでようやく実機を触り、その後、本命のマップカメラへと向かう。
新品・中古ともにカメラの取り扱い店舗としては有名なマップカメラだが、お店の実態は雑居ビルのような細長いビル一棟だった。勝手に想像していた大中規模なビルとは規模感が全然違う。
正確にいえば他店が入る「雑居」ビルではない。一棟まるごと、マップカメラの領土だからだ。ただ、建物の奥に狭いエレベーターが一基あるだけで、あとは非常階段で移動するしかなく、フロアの上り下りも雑居ビル感があって気軽に立ち寄れるオープンな雰囲気ではない。
そして、このお店には外国人観光客と思しき人がいっぱいいた。一体どこで聞きつけたんだろう?
なんで外国の人がこんなマニアックな場所に?と思ったが、なるほど、カメラやレンズというのは国際的に見ても現金に近いような資産になるのだ。そして歴史的な円安の日本でカメラやレンズを安く買って、自分の国に持っていって売れば、それだけで確実な利ざやが稼げるというわけだ。そういうビジネスもあるのか。びっくりだ。
僕は、エレベーターで一気に5階の買取フロアへと上がる。
買取フロアは、買取カウンターがいくつか並び、待つためのソファがいくつか配置されていた。フロア入口のところでまずは整理券を発行する。
早い時間だったこともあって、幸運なことに待ち時間はゼロですぐに査定に入ってもらえた。
長い待ち時間を覚悟していただけに、こればかりは拍子抜けするほどありがたかった。
まずは申込書を書くのだけど、その申込書にはインボイス番号を書く欄があって「ほう?」と思った。一般の趣味人だけでなく、プロのカメラマンも日常的にここを使うんだな。
いや、むしろプロだからこそ、こういうリセールの効くところをうまく活用しているのかもしれない。
カウンターの向こうで、まずはスタッフの方が僕のX-T20本体を手に取った。が、すぐに顔を曇らせ、近くの別のスタッフにカメラを見せに行った。なにやら最初から雲行が怪しい。
すぐに戻ってきたスタッフさんは、「外観の傷が多くて、誠に申し訳ありませんが当店では買取できません」と一刀両断した。ああー、やっぱり「ワンプライス買取」を標榜してはいても、傷が多いと対象外だったか。
「かろうじてシリアルナンバーが見えているので本来なら買取の対象には通常なるのですが、ボディ四隅の擦り傷が多いのでちょっとむつかしいです」
とおっしゃる。おそらく、長年の酷使で加水分解を起こしかけていたラバーグリップのことも含めて、「これじゃあ買取は無理だよ」という意味なのだろう。ショックではあったが、そりゃそうだろうな、とも思う。自分が中古を買う側だとしたら、誰が買うんだよこれ、と思うもんな。
あれっ、ちょっと待て。シリアルナンバーがないとそもそも買い取れないのか。
いわれてみればそりゃそうなのだけど、手持ちのズームレンズ、XF18-55mmの方は長年の使用の摩擦で、鏡胴のシリアルナンバーのシールが綺麗に剥がれてしまっているぞ。
「えっ、じゃあこのレンズはシリアルナンバーが消失しているので、ハナから査定対象外ですね・・・」
「対象外ですか?」と口に出して聞くまでもなくアウトだとわかったので、僕は自ら自主的にレンズをカバンへと引っ込めた。しかも、そそくさと。
「だめです」とプロから面と向かっていわれて、これ以上の精神的ダメージを喰らいたくないからだ。
富士フイルム・・・たのむよ、シリアルナンバーはシールではなく、刻印かなにかにしてくれよ。剥がれたら商品価値が落ちるじゃないか。
残されたのは、単焦点レンズのXF35mm F2だけ。えー、もともとそんなに高価ではないレンズただ一つになってしまった。
どうしようかなあ、これだけ査定してもらっても、たいした値段にはならない。新しいカメラシステムの頭金としては、展望がまったく見えなくなってくる。
「どうしますか?」
とスタッフさんから問われたので、「とりあえず、これの査定だけお願いします」と答えた。まさに、その場しのぎの「とりあえず」だ。
そうしてカメラ本体とズームレンズは重い敗戦処理のようにバッグにしまい、お店を後にした。
査定結果が出るのは50分後になります、といわれたので、それまで近所で待機していないといけない。レンズたった1つの査定に50分もかけるというのも、こちらを非常に緊張させる。そんなに隅々までジロジロ見られたら、絶対に何か致命的な問題が見つかるじゃないか。
いや、もういっそのこと、問題が見つかってもいいのか。
こうなったら、このままX-T20が物理的に壊れるまで使い続けるのが、僕の人生の正解ルートだったのだろうか。
何がなんだか、自分の立ち位置がよくわからなくなってきた。
当初は「クッソ減額されたけど、一応すべて買い取ってもらえそうだ。さあここからどうしよう」という展開になることを想定していたのに、「一番安い単焦点レンズ1つだけが査定に回る」という地味な展開じゃあ、話の前提が全部分違ってくる。
とりあえず、この50分の間にすべての作戦を根底から立て直さないといけない。あと、腹が減っては戦はできぬ。お昼ご飯も食べなくては。
お店のすぐ近くにステーキ屋があったので、僕はそこに滑り込んでランチを食べることにした。
目の前に運ばれてきたステーキをナイフで切り、口に運ぶ。値段が安いのにサーロインステーキが食べられて、お得なお店だった。
しかし、肉の味はまったくと言っていいほどしなかった。「ここからどうしよう」ということだけで頭がいっぱいだったからだ。
いつもの僕なら、やけくそになって「えーい、1ポンドステーキという大盛りメニューがある以上、憂さ晴らしに1ポンド食べてやるぞ!」と痛快にオーダーしてどんどん平らげていただろう。しかし完全に憔悴してしまった僕はすっかり食欲をうしない、味覚も失い、「うーんうーん」と脳内で唸りながら、50分という冷酷な時間制限を過ごした。
脳裏には常に、「ソニーを買うなら、今日中に発注しないとキャッシュバックキャンペーンが間に合わないぞ」というタイムリミットが明滅している。それが常に僕を焦らせるのだ。
もうじき夏になれば、富士フイルムも同様のキャッシュバックキャンペーンを始めるかもしれない。しかしAIは前夜、「欲しい機種が都合よくキャッシュバック対象になるとは限らないのが富士の特徴です。もし新型のX-T50が対象にならなければ、おかでんさんはカメラを買い替える絶好の機会を永遠に逸したままになります」と言っていた。うーん、そうなんだよなぁ。
もはや、事前に設定していた「撤退基準10万円」という買取総額のことなんて、どうでもよくなっている。現時点でマップカメラでの買取額が10万円を大幅に下回ることは確定しているので、本来のルールに従えば、今使っているカメラを持ち帰って使い続ける、というのが正しい選択だ。
それでもこうして悩み続けているのは、結局のところ、僕の心のなかに「新しいカメラを買いたい」という気持ちがまだ強烈に残っているからだ。それに、このままX-T20を騙し騙し使い続けて、いずれ本当に寿命を迎えた時、その時には結局同じように大規模な出費が発生してしまうのは避けられない。だったら、このタイミングで早く買い替えてしまえばいいのでは?という悪魔の囁きが聞こえる。
そういうドロドロした思考も含めて、肉を咀嚼しながらAIとスマホ越しに相談していたら、画面の向こうの計算機は、
「それなら、メルカリで売ってはどうか」
と唐突に提案してきた。メルカリで、傷や機器の満身創痍な状況を正しく書いた上で売りに出したとしても、それなりにパーツ取りやジャンク修理のニーズはある、売れないことはない、というのだ。
本当かよ。
実は、状態が良い美品ならば「一律おいくら」と上限が決まってしまうお店のワンプライス買取より、メルカリなどで直接売りに出した方がカメラは高値で売れることがある、という噂は事前に耳にしていた。でも、僕が持っているようなボロボロの機材に、値段をつけるとしたら果たしてどうなるか。相当安くしないと買い手が現れない気がするし、仮に落札されたって、あとになって「こんなはずじゃなかった」とクレームを言われたら、買ったほうも売ったほうも気分が悪い。
とはいえ、AIがここまで自信満々に「売れる」というのだから、試してみる価値はありそうだ。どれくらいで売れそうか?と聞いてみたが、もちろんAIは現時点でカメラの詳細な状態写真を見ていないので厳密な査定はできなかったが、「5万円はいける」と言う。ほう、5万円なら、お店で1円もつかないと言われた現状からすれば悪くはない・・・かな?
メルカリで買い手がつくかどうか、という、未来になってみないと決まらない不確定要素を抱えながら、僕は今日、新しいソニーのカメラを買うかどうするかの決断をしなくちゃいけない。今お店で査定してもらっているレンズを、最終的に「下取りで!」と言うかどうかで、まずは全体の買取額(下取り10%アップ)が変わってくる。提示される金額がいくらであってもその場で即答できるように、あらゆる最悪のシチュエーションを見越しておかないと。
ああ、精神がすり減る。
(つづく)

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