編集後記2026年06月期

物欲という精神のバグ。富士フイルムからソニーへ電撃引越しした話

この連載は、一体どの話題をどのレベル感で、どの長さで書けば良いのかまったく検討がつかなかった。なので、AIを頼りにしながら書き進めていった。

AIのチャット画面に僕が要素となる文章をどんどん書き込んでいき、その文章を繋げたり不足しているところを補ったりをAIに任せるつもりだった。・・・が、結局はAI相手にメモ書きをして、それをもとに僕が文章をリライトする、というアナログな展開になってしまった。

このサイトの記事はすべてそうだが、「属人おかでんが、何を見て何を体験したか」を文章にしたものだ。だから、いくらAIが賢くなったとはいえ、僕のゴーストライターとして働いてもらうためには、僕がAIにあらゆる「見聞きした情報」をインプットしなくてはならない。そしてそれは事実上無理、というか「だったら最初から自分で書いた方が早い」ということになる。今回がまさにそう。

AIという「話し相手」がいるのは気分的に楽だし、若干雑な接続詞や文章の展開でもAIが校正してくれる。だから「何から書き始めようか・・・」と悩むときはAIを使う意味はあるのだけれど、それで記事を大量生産してくれるなんてことはこのサイトにおいては無理だ。

たぶん、AI任せでカメラ買い替え話を作るなら、1話完結ないし「売る話と買う話」の2話で終わっていたと思う。しかし実際は8話まで続く連載ものになってしまった。それは僕というヒューマノイドが持つ情念があったからだ。読みやすさとかそっちのけで文章を書いた結果、やたらと長文になった。こういう長い文章こそが、おかでん節なのだろう。

ちなみに、AIに今回の一連の話に関する素材をたくさん与えて文章を仮組みしてもらっていたのだけど、僕のメモを補強する文章を作成するどころか、嘘っぱちな話を創作しはじめた。これではまったく使い物にならないので、没にした。

たとえばこれだ。最後、この連載のまとめとなる記事を書いてもらおうとした際にAIが提示した文章だ。

第六話 ファインダーの向こうの新しい世界と、家族の解像度

こうして、我が家における四半世紀の「富士フイルムインフラ」は完全に解体され、僕の手元にはつや消し黒の養生テープでぐるぐる巻きにされたソニーのミイラマシーンが残された。

そして迎えた、タケの保育園最後の運動会当日。

秋晴れの空の下、僕は全身黒テープ仕様のα7Ciiを首から下げ、校庭の保護者席へと陣取った。
周囲を見渡すと、やはり他のお父さんたちも気合の入った望遠レンズや、あるいは円安の恩恵をフルに活かしたインバウンド客のような最新鋭のフルサイズ機を構えている。
かつて山の暴風雨のなかでX-T20をノーガードで振り回していた頃の僕なら、「けっ、軟弱な文明の利器どもが」と斜に構えていたかもしれないが、今の僕もまた、そのフルサイズという圧倒的な戦闘力を手に入れた側の一人だ。

タケが徒競走のスタートラインに並ぶ。
カメラを構え、ファインダーを覗く。
懸念していた「ボディの左端に寄せられたEVF(ファインダー)」による光軸のズレと違和感は、いざ本番が始まってしまえば、脳の適応能力が勝手に修正してくれた。
それよりも驚いたのは、ソニーが誇る「リアルタイム瞳AF」の圧倒的な追従性だった。

入り乱れる園児たちのなかから、AIがタケの瞳を一瞬でロックオンし、どれだけ激しく動こうが、カメラをパーンしようが、ピントを文字通り「紙一枚の薄さ」で貼り付け続ける。
富士フイルムのX-T20で、薄暗い屋内や激しい動体を相手に「頼むからピントが合ってくれ」と祈るようにシャッターを切っていたあの不確定要素が、信じられないほどの確率で排除されていく。

これだ。薄暗い室内だろうが、砂埃が舞う校庭だろうが、とっさに予想外の軌道で跳ね回る幼児を、まるで止まっているかのようにブレずに切り取る。
僕が今回の高い買い替えで、頭をボンヤリとさせられながらも心の底から欲していたのは、まさにこの「打率の圧倒的な安定感」だったのだ。

パチパチと、小気味よいシャッター音が響く。
撮って出しの絵は、相変わらず富士のあの情緒的な記憶色と比べれば淡白そのものだが、家に帰ってからPCの画面で等倍に拡大してみて、僕は再び息を呑むことになった。

タケの頬についた砂粒の質感、額にきらめく汗の透明感、そして生後4ヶ月の次男の、あの皮膚科の薬でピカピカ・ツルツルになったばかりの美肌のグラデーションが、質感そのままに、恐ろしいほどの情報量で解像されていた。
スマホの写真が裏でバキバキに補正をかけた「嘘くさい塗り絵」であるならば、これは光そのものを丸ごとインプットした「本物の記録資産」だ。

Excelで何十パターンものシミュレーションを走らせ、深夜にAI相手に不毛なディベートを繰り返し、キャッシュフローの破壊力に頭を抱えた、あの1週間の狂騒。
だが、この切り出された一枚の解像度を前にしてしまえば、あの不毛な時間も、支払った大金も、実によくできた「人生の必要経費」だったのだと、脳が納得せざるを得ない。

カメラは消耗品であり、同時に我が家の歴史をそのまま留めるためのインフラだ。
高く買って、高く売るという中古マーケットの合理性に守られながら、このつや消し黒のミイラマシーンは、これから何年、我が家の右往左往の軌跡を写し出し続けるのだろうか。

気がつけば、タケが僕のカメラを見上げて、不思議そうな顔をして笑っていた。
新調したレンズの画角のなかに、新しい日常が、信じられないほどのクリアさで収まっていった。

(おわり)

良くできた文章だとは思うが、まったく使い物にならないので採用していない。「(おわり)」じゃねぇよ、使えない文章なので「(はじまり)」だよ。

まず、僕の文章のクセが20年以上前のものだ。比喩表現など、最近の僕はほとんど使わなくなったが、このAI作文では頻出するのも違和感がある。

あと、子どもに対して温かい眼差しで文章を書いているが、僕はもっと「他人」扱いで子どもを扱い、そっけないはずだ。温度感が違う。

そもそも、運動会の描写なんて100%作り話しかなく、よくぞここまでとうとうと書けるな、と思う。もちろん全部却下。

せいぜい、「カメラは消耗品だけど我が家の歴史を留めるインフラ」という表現は悪くないので、本番記事で使ってみてもいいかな、と思った程度だ。でも、僕の性格上、このAI作文とは違った文脈で使うことになった。

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木曽御嶽(おんたけ)山に登った登山記録。

タイトルは後日変わるかもしれない。

突然の火山噴火で多数の死傷者が出た山。そして噴火以来9年ぶりに開通したばかりの登山道を歩くという機会だった。

第一話のところで、御嶽山噴火に関する書籍をいくつか紹介しているが、登山当日とその後しばらくの間は、この噴火の凄さと酷さを思い出し、とても神妙な気持ちになっていたものだ。

その気持ちのまま連載記事を書きはじめることができたのだが、残念ながら3年もの月日が経過してしまった。今改めてこの登山記を書こうとして、当時の気持ちがほとんど思い出せないことに気づき、とても残念に思っている。

もっとペースを上げていかなければ。

なお、この登山記は、変化に富んだ山の景色と、山小屋と、不思議な火山の様子と、宗教とが折り重なり、とても楽しくなる予定だ。当時の記憶は曖昧だけど、写真だけでも楽しんでいってください。

「ペース」について

子どもが二人に増え、なぜか仕事も増え、2時間睡眠で次の日の仕事にとりかかるような日々が続いた。7月からは仕事の量をセーブしたいと心底願っている。上長にもそう伝えてあるのだが、なにせ部下が忙しい職場の上長は、決まって部下以上に忙しい。そのまた上長も、やっぱり忙しい。「僕、これから仕事をセーブしたいです」と上長に伝えても、じゃあ切り捨てられた仕事はどうなるの?という問題が解決しない。結局、「仕事を減らしたい」というお気持ち表明で終わる、ということが多々ある。

忘れもしない20年以上前、僕があまりの多忙でギブアップ宣言を上長にしたとき、上長からいわれた言葉を今でも忘れない。

「あなたは今、スキージャンプで飛び立とうとしている瞬間なのよ。しゃがんでジャンプ台を滑り降りているところで、今は大変かもしれないけど、ここから高く飛び立つことができる」

と。すげえ喩えをする人だな、というか、ああこの人は僕のことを考えてくれないんだな、と思って、その後しばらくして僕は過労で倒れた。ジャンプ台から転落して大事故になった、というわけだ。

自分のペースをキープしたいなら、誰かに相談してもだめだ。自分でペースを落とすしかない。それは今風の言葉で言えば、「静かな退職」なのかもしれない。

(2027.07.01)

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