御嶽山(田の原→二ノ池山荘泊→お鉢めぐり→飯森高原) / おかでんさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
2023年の日本百名山シリーズ、第三戦。
6月に巻機山、7月に斜里岳を登り、8月は岐阜県と長野県の県境にある独立峰、御嶽山(おんたけさん)に登ることにした。


このあと、9月に北アルプスの妙高山・火打山に登り、同じ月に岩手県の早池峰山に登る予定となっており、今年は充実した山歩きができそうだ。
そのためにも、一つ一つの山歩きで怪我はできないし、自分なりの課題を見つけながら改善をしていきたい。
前月、斜里岳に遠征したこともあり、荷造りは楽だ。「何の装備をザックに入れよう?」とあれこれ悩まなくて済むからだ。
山登りを日常的に愛好している人からすると「えっ、そんなレベル?」と思うだろうが、僕は登山の準備をするのに毎回1時間、2時間と平気で時間をかける。「軽量化したいからこれは持っていかなくていいかな・・・いや、でも念のために持っていこうかな」と、荷物をザックに出したり入れたりする不毛な一人押し問答を繰り広げているからだ。
山なんて、怪我や荒天のリスク、そして自分の技量さえもガン無視すれば、思いっきり軽量化ができる。でももちろんそれは文字通り命取りになるので、予備の服や食料、水、エマージェンシーキットなどを持っていくことになる。さらにそこに「快適性」という、ワガママを加味すると、余計に荷物が増える。
しかし、毎月立て続けに山に登っていると、だいたい自分に必要な装備のレベル感というのがわかってくる。だから荷造りが早くなる。
とはいえ、今回は山中の山小屋に泊まる。山小屋泊、というのは僕においては判断を鈍らせる、じつに難しい要素の一つだ。屋内ではさっぱりした格好で過ごしたいので着替えは持っていきたいよね、薄着がいいよね、と考える一方で、日没までは小屋の外にいたいから、そうなると防寒は必要だよね、という思いもあり、短パンにするか長ズボンにするか、登山のときに履いていた服のままでいくのか、小屋用に別途持っていくかで激しく悩む。
あと、「車で行くのか、公共交通機関でいくのか」「下山後、お風呂に入れるのか、入れないのか」でも装備が変わってくる。こういう要素をあれこれ考えるのは、楽しさ半分面倒くささ半分だ。
だから、毎月登山を繰り返し、装備のスタメンを固定させることは大事だ。たまにしか登山をやらないなら、そもそもスタメンがなんだかわからなくなっているし、そのスタメンを押入れのどこに片付けたかさえ見失う。そうこうしているうちにおっくうになり、「山に登らない理由」を自分でロジカルに探し始め、「まだ機が熟していないから今回の登山は見送ろう」という、もっともらしい結論になりがちだ。
とにかく登山というのは疲れる趣味なので、隙あらば登らない理由を探しがちだ。そうならないためにも、登山がルーティン化していることは絶対条件だと言える。
御嶽山。標高3,067メートルの独立峰で、かなり遠くからでもはっきり見える、特徴的な山だ。3,000メートル超の山ということで標高では日本第14位。独立峰限定なら、富士山についで2番目の高さを誇る立派な火山だ。
「独立峰」と聞くと富士山のようにスラッとした綺麗なコニーデ型の山容をイメージするが、実際はかなり雄大な山裾を持つ、どっしりとした横長に見える山だ。山のてっぺんはギザギザしていて、明確な「最高峰の頂」が遠目にはよくわからない。これは度重なる噴火活動によってできた複数のカルデラや外輪山が複雑に折り重なっているからだ。その様子は、単一の山というよりもまるで一つの山脈のようにも見える。
そして山の上は標高が高いだけあって遅くまで残雪があり、それがとても美しいコントラストとなって見る者の印象に残る。
古くから霊山として篤く信仰されており、「御嶽講」と呼ばれる山岳信仰が今も昔も盛んだという。御嶽山を信仰対象とする宗教団体も複数存在する。
東京には奥多摩に「御岳山(みたけさん)」という山があり、手軽な山登りやハイキングの場所として知られている。これと何か関係があるのかと思っていたが、調べてみると信仰の根源からして別物だった。奥多摩の御岳山にある武蔵御嶽神社は蔵王権現を祀っている一方、木曽御嶽山は御嶽大神、つまり山そのものが神聖な信仰対象となっている。
いわば、あの世とこの世の境界であり、死者が還る場所がこの木曽御嶽山、ということらしい。身が引き締まる話だ。
東京の御岳山と木曽御嶽山は、全く関係性がないかというとそうではなく、奥多摩の御岳山で修験道の修行を積んだ普寛(ふかん)行者が、のちに木曽御嶽山の黒沢口登山道を開山した、という歴史がある。なので、深い縁があるのは間違いない。
ちなみに、東京都の大田区に、東急池上線の駅で「御嶽山(おんたけさん)」という駅があって「おやっ」と思うが、これは駅の近くに「大田区御嶽神社」があり、木曽御嶽山が勧請されて祀られているからその名前がついている。
神社の創祀は天文4年(1535年)ということだが、天保2年(1831年)に現在の立派な社殿となり、関東一円から多くの信者を集めるようになったそうだ。普寛行者が御嶽山を開山したのが1780年なので、それからわずか半世紀で、江戸の町でも御嶽講が大ブームになった、というわけだ。
当時は「(大田区の)御嶽神社を三度参拝すると、遥か遠くの木曽御嶽山に一回登頂したのと同じ功徳が得られる」とまで言われていたようだ。
それだけ、実際に木曽の御嶽山に登頂するというのは貴重なことであり、ありがたいことであった証拠だ。実際問題、交通網のない時代に木曽福島から開田高原を経て、標高3,000メートルを超える厳しい御嶽山を登るだなんて、関東の人からすると富士講よりも遥かに難易度が高かったに違いない。
そんな歴史ある山を、現代の僕が登ってしまおうというのだから、いやが上にも身が引き締まる。
普寛行者が開山するまでは、「百日間の精進潔斎(山籠りや水行での厳格な清め)」を経ないと登頂できないという厳しい掟があったという。それが1780年に普寛行者と覚明行者の2名が開山してから「軽精進(数日間の節制)」へと制度が変わり、そして今では「百名山ピークハンター」などという俗な欲を持つ人間さえも、文明の利器を使って即日山頂を「狙える」イージーな時代へと変わっていった。
しかし、この御嶽山を現代において特に知らしめ、世の中を戦慄させたのが、2014年9月27日の突然の噴火だ。山頂近くの地獄谷からの噴火、しかも登山シーズン真っ盛りの紅葉の時期、かつ日曜日のお昼前という最悪極まるタイミングで水蒸気爆発が発生し、山頂近辺にいた58名がお亡くなりになった。未だ発見されていない行方不明者も5名残されており、戦後最悪の火山災害となった。
火山の災害といえば雲仙普賢岳の火砕流噴火が記憶として残っているが、それよりも被害規模、死者数が大きかった。普賢岳は火砕流や土石流が山の麓を襲い、報道関係者や警戒中の人々を飲み込んだ災害だったが、御嶽山の場合は噴火に伴って火口付近の岩盤が吹き飛ばされ、無数の大きな噴石が雨あられと登山者を直撃したことによる死傷だった。時間が時間だけに、山頂付近でお弁当を広げて昼食中だった人が多く、山頂直下からの突然の爆発から逃げようがなかった。
当時、災害を伝えるニュースが連日報道されていたのは僕も見聞きしていたが、ネットではどこから流出したのか、一般のニュースではまず出回らないような「救助活動にあたる自衛隊員の足元で、灰に埋もれて息絶えて倒れている登山者」の写真など、いくつものショッキングな画像を見かけたものだ。空を舞った噴石は時速300kmを超えるスピードであったとされ、たとえ小さな小石であっても、一発でも当たれば大怪我、あるいは即死を意味する。僕が見た写真も、腕が損壊しているように見えた。凄惨極まる光景だ。
なお、「日本救急医学会雑誌」には、症例報告として現地で命がけの救助活動にあたった医師たちの報告が掲載されており、ネットでも参照することができる。しかし、患部の写真などが鮮明に掲載されているため、冒頭の「要旨」以降を見るのはそれなりの覚悟が必要だ。
火山に登るということは、常にこういうリスクと隣り合わせである、ということだ。
当時、噴火警戒レベルが「1(活火山であることに留意)」で、入山規制がかかっていなかったことに対して、遺族が国家賠償請求を求めて訴訟を起こしたが、最高裁判決で国の責任はないと判決を下され、結審している。
要するに、自分の身は自分で守らなければいけない、というわけだ。今ではその教訓から、御嶽山に登るときはヘルメットの着用が原則義務化されている。(法的罰則を伴うものではないが、強く要請されている)
2014年の大噴火後、2015年に噴火警戒レベルが3(入山規制)から2(火口周辺規制)に引き下げられ、その後、2017年に1(活火山であることに留意)になった。
山頂への立ち入り規制がようやく一時解除されたのは、噴火から4年が経過した2018年9月26日のことだった。それも10月8日までの13日間だけで、その後また山頂は封鎖された。2019年に入ってようやく夏山シーズンを通して山頂に立ち入ることができるようになったが、それでも噴火口から最も近いところを通る王滝口からの登山道は、長らく閉ざされたままだった。「八丁ダルミ」と呼ばれる王滝口登山道の山頂直下で、多くの死者が出たからだ。(山頂で33名、八丁ダルミで16名が犠牲となっている)
そんな王滝口登山道がようやく再開となり、八丁ダルミを通って山頂を目指せるようになったのは、じつに2023年7月29日のことだ。つまり、僕はこの悲劇のルートが開通してわずか一週間ちょっと後に、ここを利用することになる。
大滝口から入山し、黒沢口から下山したい・・・ということは、この山を計画し始めたときからずっと思っていた。というのも、僕はそもそも標高が高いところから登り始めるという横着が大好きだから、登山口の中で一番標高が高い大滝口(田の原登山口・標高約2,180m)を使いたかった。それは半分冗談として、できるだけ登りと下りを別ルートにしたいと考えた時、JR木曽福島駅を起点に考えると、大滝口から入り、登頂後に黒沢口に下山するのが最も合理的で都合が良かったからだ。なので、ちょうど大滝口・八丁ダルミが9年ぶりに再開されたというのは、僕にとってまさに渡りに船だった。
また、ヘルメット着用が努力義務ということについては、ちょうど先月登った斜里岳のためにヘルメットを調達したばかりだったので、これもまた渡りに船だった。装備がさっそくスタメンとして活きている。
登頂に先立ち、御嶽山の噴火について書籍をいくつか読んで予習しておいた。
『検証・御嶽山噴火 火山と生きる―9.27から何を学ぶか』
『御嶽山噴火 生還者の証言』
『ドキュメント御嶽山大噴火』
どれもこの世の地獄を克明に語っている本で、恐怖を感じつつもむしろ目が釘付けになって読み進めた。最近めっきり読書量が落ちてしまった僕でさえ、ページをめくる手が止められなくなる凄絶な内容だった。さすがヤマケイ文庫、こういう山岳ドキュメントものの編集・構成の緊迫感は群を抜いている。
上記で紹介した本は、Amazonで冒頭ページのサンプルを読むことができるものもある。当時の壮絶な写真や、極限状態を生き抜いた人のコメントを読むことができるので、一読をおすすめする。サンプル用のわずかなページを目にするだけで、背筋がゾッとする内容だ。
こういう生々しいドキュメントをあらかじめ頭に叩き込んでいただけに、今回の山行はすごく神妙な気持ちだ。いつまた牙をむいて噴火するかわからない活火山に対する警戒だけでなく、わずか9年前に多くの犠牲者が出てしまったルートを、自分が歩く以上、へらへらと笑顔というわけにはいかなかった。
追悼の気持ちを静かに胸に抱き、一歩一歩、歩こうと思う。お亡くなりになった方々は、僕と同じ山を、登山を趣味とする人たちなのだから、なおさらだ。
(つづく)

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