アワレみ隊設立趣旨説明の手紙

感化されやすいんです

当時、まだ僕らは大学1年生だった。今まで親の庇護下におかれていていろいろ抑制されていた「やりたいこと」が、一人暮らしを始めることによって一気に「できること、やらなくちゃあいけないこと」として現実味を帯びてきた時期。そんな開放感が向かった先は、天幕生活だった。

ちょうど、おかでんが椎名誠の本を読んだ事から、このアワレみ隊は始まる。

「そうだ、自由なんだ、自由ならもっと自由らしく離れ小島でテントを張らないと」と目からうろこだったおかでんは、それまで「主よ、アワレみ給へ・・・」という名前の高校時代の映画サークル仲間をキャンプ集団に変貌させる事を企画。まずは趣旨を理解してもらわなければならんと椎名誠の本を回覧して洗脳する事から始めている。

ちなみに、この当時は「アワレみ隊」という名称はまだ存在していなかった。(自然発生的に定着していったもので、今まで一度も正式決定されたことはないのだ、実は)

そのあたりの心境というのは、逐一手紙で各メンバーに送っていた。今回、その手紙がごっそりと発見されたので紹介したいと思う。当時何を考え、アワレみ隊を興したのかがよくわかる一文だ。

ただし、インターネットを用いて赤の他人に見せる事を前提にして作成されていない文章なので、一部理解しづらい内容や青臭くて失敬な事を口走っている事もある。その辺は勘案して頂きたい。あと、はっきりいってくそまじめに書いている手紙ばかりなので、全然面白くは無いことをあらかじめ断っておく。資料的価値しかない文章、ッて事でご勘弁のほどをば。

1992年09月頃 (詳細時期は不明) 手紙

「主よ、アワレみ給へ」が解散してから早幾多の月日が流れた。仲間は全国に離ればなれになり、ある者は都会の狭間に悩み、ある者は偏差値に苦悩する。あの楽しかった高校時代は何処にいってしまったのだろうか。

しかし、「主よ、アワレみ給へ」「part2最後の抗戦」のビデオがある限り、われわれの絆は崩れ去る事はないのだ。現に、「アワレみ給へ東京支部」「アワレみ給へ名古屋支部」が結成され、地道に活動を行っている(ただ集まっているだけだが)。10月くらいには東京支部と名古屋支部が集まって全国大会を開こう、という話もあったりする。頼もしい限りである。

「高校で作った友達は一生の友達になる」とよく言われていたものだが、最近になって実感した。大学に行っている諸君は私が言うまでもなく実感していると思うが、大学の友達というのは高校時代の友達と根本的に違う。たとえば政治的な話みたいなまじめな話を討論できる。気安く飛びかかったりできるような友達も存在しない。だからこそ、私は「アワレみ給へ」で作った友人及び友情を大切にしたい。

一体何が言いたいが為にこのような手紙を書いているのか、というと、もうほぼ全員に大まかな話はしたのだが、「来年の夏にキャンプをやるぞー」という事を言いたいが為だ。来年の夏といえばまるまる一年もあるのに、気が早い奴だと思う事なかれ。そりゃあどっかのキャンプ場に行って便利なキャンプをやりましょう、っていうのなら来年の春からでも遅くはないだろう。しかし、今回私が目指すキャンプはそんな青白きガキ共がやることとは違う。人のあまり住んでいない離れ小島に行こう、というのだ。当然の事ながら、キャンプ場と銘打ってあるところになんかにゃ馬鹿馬鹿しくて泊まってられっかよ、ケッ。というわけだ。すなわち人気のあまりない砂浜にテントを張るわけだ。こうなってくると、人のあまり来ない島を探し、島に水が出るかどうか調査し、どれだけ現地調達ができるかというのも調べにゃあならん。そうなりゃ今から始めなければ大変、というわけだ。

具体的にはどういったキャンプを志向しているのか、ということについて書こう。ズバリ、それについては、私を「キャンプに行くぞ」という気にさせた、椎名誠の「わしらは怪しい探険隊 (角川文庫)」の冒頭部分に集約されているので、かなり長い文章ではあるが、抜き出してみたい。

—以下転載—

(著作権の都合上、手紙に書いてあった文章はばっさり割愛)

—以上転載—

これで私がやりたいこと、そして言いたい事が分かってもらえたと思う。ただし、最近の「便利楽々キャンプ」とは大きく違う、という事を念頭においてもらわなくてはならない。多分一日の大半が食事の関係で潰れてしまうだろう。キャンプと聞いて飯ノ山のキャンプを思い出してもらっては困る。

【後注】「飯ノ山のキャンプ」とは、我々が中学時代に林間学校として3年間利用したキャンプ場のこと。

重要な点は、「自分達で自炊する」という事にあるのだ。以上のことをしっかりと考えて、自分が参加したいのかしたくないのかを考えてくれ。一応アワレみ給へのメンバーで行きたいのであるが、こういったワイルドなキャンプが嫌な人が絶対出てくるだろう。その場合は参加しなくてもいっこうに構わない。ま、参加希望を募るのは来年の春以降になると思われるので、そのときまで時間はあるわけだが。

今までに決まったことをまとめて記しておこう。

場所:三河湾に浮かぶ島、という条件でほぼ決定状態となっている。詳しくは決まっていないが、伊良湖岬と伊勢の間に浮かぶ島(神島など)が有力視されている。現在名古屋支部に調査依頼中。

日時:来年の8月始めになるはずである。

日程:東京組も名古屋組も荷物をしぶちょおの家に集結させ、そこで荷物を当日の朝各人に分担、出発する。最低でも3泊4日、多くて5泊6日になるのではないか。

その他:おかでんとしては今後毎年1回はこのようなキャンプ自炊生活を過ごしたいと考えているので、キャンプ用品は全てレンタルではなく、自前で購入するつもりである。これを聞いて、いかにおかでんがやる気になっているかが分かるだろう。

以上である。ま、あと1年先のことだ。まあ、こんなことがあるんかいな程度でもいいからココロに留めておいてください。尚、参加してみてもいいかな、と思う人は前のページにも提示した、椎名誠著「わしらは怪しい探検隊」(角川文庫)を読むことを薦めます。事前に読んでおけば当日、「こんなはずじゃなかったのに」みたいなことにならなくて済みます。余裕がある方は「あやしい探検隊北へ (角川文庫)」も読んでおいたら間違いはない。

では、冬ごろにはまたキャンプに関する手紙を全員に配りますので、そのときを待ち望むがよい。たぶん(?)その頃には島も決定していることだろう。

そうそう、浪人している人は大学に合格するということが第一条件だったな。何とか第一志望大学に合格して、来年の夏はおもいっきり楽しもうじゃないか。頑張れ!

様々な提案を受け付けているので、何かいいアイディア、もしくは変更要求があったりする人は所沢のおかでんの家まで電話もしくは手紙でお願いします。

-名古屋支部へ業務連絡-
8月22日仮決定した島、すなわち佐久島・日間賀島・篠島は調査の結果キャンプ不可能であった。しぶちょおを通じて連絡はいってると思うが。書面なのでその理由を詳しく書く。

[佐久島]:3つの島の中では一番大きい島。この時点であんまりうれしくないのだが、更に悪いことに島の中には青少年レクリエーションセンターみたいなものがあったりして、お話にならない。

[日間賀島]:まず許せないのが15万ヘクタールの埋め立て地というのが存在すること。まあ、それはいいとしても、狭い島の中にゴルフ場があったり、ホテルが林立していたりで完全にレジャーアイランドとなってしまっている。ダメ。

[篠島]:漁業で生活している人が多いので3つの島の中では一番ノスタルジーを感じさせる島。観光名所もほとんどなく、普段はあまり人の来ない島らしい。こりゃもってこいの場所だと思っていたら、何でも特産の大はまぐりのシーズンの夏になると、たくさん人が来るらしい。更に悪いことに、海水浴客も大勢くるとのこと。これではキャンプなどできんわな。

最後に。東京支部10月定例会はいつやろうか?連絡くれ。(場所はばばろあかジーニアスの家)

1992年10月16日付手紙

【後注】この手紙は、当初おかでんが自分の頭を整理するためにまとめた私的文書だったが後にしぶちょおに「こういった趣旨だがどうだろうか?」と確認の為に送ったもの。

「主よアワレみ給へ」
93年第一回離れ小島占領作戦in神島実行計画書

[目的]
この計画書は、「神島に行く」という事は決まったものの何から手を着ければいいのか分からないため、自分の思考回路を整理してよりよい方向性を探るために作成される物である。よってこの文書は全くの私的文書であり、この文書に書かれている事が決定事項といっさい関係のないことをこの場をもって明言する。

[場所]
神島に行くということで暫定決定している。まず間違いなくこの島になるだろうが、下見に行った際満足に行くような状態でなかったら、変更という事になる。

[日時]
93年8月1日から4泊5日を予定している。なぜこの日時なのかというと、7月の終わりまで授業があったりサークルの活動がある人が多く、8月の頭くらいが帰省ともぶつからず一番都合がよいと想像されるからだ。そして宿泊日数のことだが、宿屋に宿泊するのと違って諸々の準備や後かたづけで前後一日潰れてしまうという可能性が大きいということを考慮に入れなければならない。だから少し眺めの4泊5日としたのだ。また、キャンプ場のように設備が整っていない関係上、一種サバイバル的要素が含まれるのは必至だ。だから短い日時ではあまり面白くない、という理由もある。

[意義]
ジーニアスなどから「なぜわざわざそんなキャンプをするのか、施設の整ったキャンプ場ですれば良いではないか」と言われたが、私はそうは思わない。私の離れ小島への情熱は以前メンバー全員に送った手紙に書き記しておいたので繰り返しは述べるつもりはない。

ただ、私に言わせればキャンプ場でキャンプをするなど軟弱な女子供のする事にすぎねぇんだよ、けっ、となる。中学の時のキャンプを思い出してみたまえ。楽しかった思い出以外に何が残っているというのだ?わざわざ大自然を体感するためにバスで1時間半もかけて出かけたというのに本当に大自然を満喫したと言えるだろうか?ただ自然と共存しただけであって格闘をしていない。

わざわざ山の中でメシを作るだけの物だろうか?そんなもん、一人暮らしで自炊生活の俺にしてみりゃ近くの公園で飯を作っているのと何ら違わない。

俺は自然と真っ向から闘いたい。これは演歌だ。ワイルドでなければ俺自身納得いかないのだ。ただ単にこれは俺のわがままに過ぎないのであるが、メンバーの大多数が俺の方針に賛成せず、軟弱な路線に走りそうになったら直ちにこの企画を取り下げ、別の友達を誘って神島に行くことになるだろう。

ただし、予定通り皆の賛成を得て実行するという事になるのであれば、この企画は息の長いものにしたい。すなわち、大学生活中だけ楽しもう、というのではなく、10回、20回と大人になっても続けたいのだ。椎名誠の「東日本何でもケトばす会」のように。そのためにも何としてでも第一回目を成功させなければならないのだ。だから私は一年も前から企画を練っているというのだ。

[下見]
椎名誠の本を読むと、ぶっつけ本番で離れ小島に出かけているようだが、今回は第一回ということもあって綿密な下見を実行しなければならない。

時期的には冬、帰省する途中で名古屋のしぶちょおと一緒に下見する事になると思う。春にしたほうが時間的余裕もあり良いのであるが、春の段階で参加者を募ることに事になるので、それまでに場所を明確に決定せねばならない。そうなってくると冬休み、ということになるだろう。

<調査事項>
1.島までの交通の便の確認
2.島及び本土の港でどれだけ買い出しができるのか
3.水の供給源
4.古里浜でキャンプが張れるのか
5.流木や枯れ木の有無
6.ガソリン現地調達の可能性
7.夏に来る観光客数

[携行品]
4人用テント(2帳。宿泊用)
2人用テント(1帳、荷物庫)
ウレタンマット8枚
ランタン2個
ラジウス2個(雨天料理用)
大鍋2個(鍋物用と飯用)
鉄板1枚
投網(酒類を海中に沈めて冷やす)
おたま2個
しゃもじ1個
野外用皿多数
ポリタンク2個(飲料水用とガソリン用)
まな板
包丁
折り畳み式スコップ
なた
のこぎり
シュノーケル
フィン
ばけつ
たわし
洗剤
スポンジ

・・・思いつくだけでもこれだけある。この他、個人携行品としては釣り具など。

[予算]
以上のものをいっさい購入する事になる。余裕があればトランシーバーなども購入したいものだ。推定予算20万円。これは発案者であるおかでんが負担することになる。しかし、20万円もおかでん一人が負担するのはあまりに辛いので、参加者は器具使用料として3000円から5000円くらい負担、ということになるだろう。これを5年間くらい続け、参加の都度払ってもらう、ということになる。

上記の携行品の中でわざわざ買わなくても各人家からもってくれば良いのではないか、というものもいくつかある。おたまとかしゃもじがそれに該当するはずだ。しかし、今後毎年使って行くことを考えると決して高い買い物ではあるまい。それに、台所と違って痛みが激しいと考えられるので、誰かの家から持ってきてもらうのはあまりにしのびないのだ。そこらへんを了解して頂きたい。

結局、個人負担は旅費を含めず考えて、2万円以内となるのではないか。食費の他に、酒代も入ってくるわけだが、食事はオール手作りなので安く上がるはずだ。1年も前からキャンプを告知しているのだ、貯金できないほどの額ではあるまい。

[その他]
やはりなんといってもこの企画は椎名誠達がやっている事の二番煎じに過ぎない。いずれは自分たちのオリジナルカラーを出していきたいと思っているが、まず兎に角、以前から推薦している「わしらは怪しい探検隊」「怪しい探検隊北へ」「怪しい探検隊海で笑う」などの本を読むことが先決である。本を読まずして誤解に基づいた認識でこの企画を語る人がいるのは大変遺憾である。

[最後に]
一応思いつく限りの事を書き並べてみたが、少しは頭の中を整理する事ができたと思う。この文章を素にさらに具体的なプランを組み立てていきたいと思う。

しかし、問題はこのようなことを一人で計画していって良いのか、ということだ。全員で話し合った末で決定、という手順を踏まなかったらせっかくのキャンプも少しつまらなくなる可能性がある。やはりキャンプというものはみんなで頭を悩ませながら構築していくものだ。だれか一人が決定した事をみんながやっていく、これではメンバーの積極性を引き出すのは難しいのではないか。

だからこの紙面に書かれたプランは私個人の胸に秘め、できるだけ他のメンバーの意見を抽出していきたい。私はアワレみ給への責任者であり、今回のキャンプの隊長という地位を持つ以上、企画立案は別の人に任せたい。今度メンバーと会合を持つ機会があれば、そのことを提案してみても良い。「東日本何でもケトばす会」の「陰気な小安」みたいに、事務局長を設けるというのも良い。どちらにせよこれは早急に検討する必要があるだろう。

・・・当初は自分自身のために書いていた文章であるが、気が変わった。企画に当初から参加していた名古屋支部の二人にだけこの文章を閲覧してもらおうと思う。何か意見があったら報告してもらいたい。尚、この文書は非公開文書であるという事を忘れなく。 以上。

1992.10.16 19:04 319教室にて

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