ラーメン二郎 京急川崎店

『大ダブル・野菜増し増しにんにく増し増し』
(神奈川県川崎市川崎区本町)

前回に続いて、今回も「ラーメン二郎」から美貌の盛りをお届けしたい。ラーメン二郎といえば暴力的な盛りをするお店のような印象があるが、全てのお店においてそういう不文律があるわけではない。確かに、どの店においても総じて量は多いのだが、中には普通のラーメン屋といった風情の盛りの店もあることは事実だ。 このあたりが、非常に緩やかな制約に基づいてのれん分けされているラーメン二郎の面白いところだ。味付けも異なれば、盛りつけも異なる。それぞれの店主が自分なりの二郎を模索した結果、丼の上では様々な「二郎という食べ物」が創出されている。

前回報告しためじろ台法政大学前店は、「二郎とは盛りが重要である」と解釈したようで、美しき富士のごとき気高い盛りを実現している。また、他店では「二郎とは麺のボソボソ感が重要である」と解釈したのか、麺が非常に食い応えのある極太ワシワシ麺を提供しているところもある。

そんな中で、京急川崎店は盛りが強烈なプレゼンテーションをするお店の一つである。通常、ラーメン二郎において通用する無料トッピングコール「ヤサイ」だが、このお店の場合「ヤサイマシ」「ヤサイマシマシ」とランクアップさせる事が可能となっている。おなかの空き具合、野菜に対する執着心次第で盛りを変更させることができるというわけだ。

即ち、

トッピングコール無し<ヤサイ<ヤサイマシ<ヤサイマシマシ

という量のヒエラルキーが存在していることになる。(これは二郎各店によって呼び方が変わる。ちなみに本店で「マシマシ」などと言うと、逆に量を減らされるというお仕置きが待っているので注意)

大ダブル野菜にんにくマシマシ

写真は、大ダブルヤサイマシマシニンニクマシマシの場合だ。

「大ダブル」とは、「大ラーメンの、豚肉がダブルで入っているもの」である。それから後ろの呪文らしきものは、無料トッピングコール。

ヤサイの盛りっぷりが、尋常ではない。レンゲが、かろうじて丼のふちにへばりついているが、いつ落ちてもおかしくない。それくらい、丼に隙間が無く物体が詰まっている。東京の通勤電車における混雑状況がよく世間では取りざたされるが、この丼内においては密集度合いは世界一と言っても過言ではあるまい。

ヤサイにおけるキャベツとモヤシの比率は、この時は1:9か2:8程度だろう。恐らく、これだけ盛りつけるためには市販のモヤシだと4袋くらいは使っているのではないだろうか。何しろ、ゆでてかさが減った状態でこの量だ。通常時は一体どれだけのかさを誇っていたのか、考えると少々怖い。

野菜マシマシを横から見た図

横からみた図。 丼の大きさに匹敵するくらい、ヤサイが積み上げられている事が分かる。こうなると、ラーメンを食べに来たのか、ヤサイを食べに来たのか分からない。しかし、ラーメン二郎というこってりした食べ物においては、少々アンバランスなヤサイの盛りであっても問題はない。

盛りというのは、アンバランスではいけない。無理があっては美しくない。このお店の盛りの場合、ラーメン二郎であるが故に、美しい。

丼の手前に台ふきが置いてあるが、これは丼からあふれたスープが食べている本人のほうに伝わらないようにするための、「堤防」の役割を果たしている。これがないと、テーブルを伝わってズボンにスープが垂れる。それだけはなんとしても避けなければならない事態だ。

これを果たして美貌の盛りと呼んでいいのか、諸説あるだろう。しかし、あえて私はこの盛りを美しいとたたえたい。中途半端さのない、豪快な盛り。この料理には、「盛れるだけ盛りました」というやけくそ感が漂っておらず、ただただ静かに、食べ尽くされるのを待っている。その姿が、何か達観したものを感じさせる。
このお店には、「ヤサイマシマシ」のさらに上として、「ヤサイ男盛り」という裏技があるという。このページにて紹介している写真よりも、ヤサイがさらに重力の限界にまで盛られている。ただ、私はここまでくれば美貌とは言わない。美しさよりも、盛りが持つ野蛮さ、下品さが目立ってきてしまうからだ。

美しい盛りというのは、難しい。ひたすら盛られてあれば良いというわけではないのだ。

最後に一言。「美しい盛り」とは、この後自分がその盛りを食べ尽くすという事ができてこそ、美しい。面白半分にお店で豪快な盛りを注文して、大喜びしているような人にはこの美しさは分からない。仏像に魂が入っていないのと同じである。くれぐれも、食べられる自信がないのに大盛りを注文しないよう、読者にはお願い申し上げたい。

(2004.11.11)

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