ぼんち

『中華丼』
(山梨県竜王町)

ぼんちの周辺。

閑静な住宅街。山梨県の県庁所在地・甲府市の西に位置するところに、竜王町という町がある。何の変哲もない町なのだが、そこに「ぼんち」という食堂があることでその名をとどろかせている。・・・主にライダーなどに限定されるが。

なぜこの「ぼんち」が名高いか。

いや、そんな大げさに疑問形にしなくっても、このコーナーで取り上げる以上は「量が多いから」に決まってるでしょ。さっさと話を進めなさいよ。

まさにその通りで、情け容赦無しの盛りっぷりが一部フリークの間では愛されているという。バイク乗りたちが、「ぼんち」目当てでツーリングに出かけることもよくあるらしい。

今までこのコーナーでは10軒以上のお店の暖簾をくぐってきたが、「巨盛り(敢えて美貌の盛り、とは言わない。中には汚い盛りもあるから)」を提供するお店というのは立地条件に指向性がないように思われる。よく、「大学の近くには安くて盛りが良いお店がある」と言われるし、実際にその通りなのだが「手加減知らず」なまでの盛りのお店はあまり見かけないようだ。あるとすれば、既に著名になっているはずだ。

今回、カーナビの指示に従って竜王町の住宅地深くまで侵入してみて、思わず苦笑いしてしまった。本当に、郊外の住宅街だったからだ。こんなところに巨盛りの店があるのか。いや、あってもいいものなのか。驚きと同時に、感動を覚える。周りにはお店らしきものは無く、大通りにも面していない。こんな立地じゃ、クリーニング屋がお似合いだ。

ぼんち外観。

普通のお店にもかかわらず、「ぼんち」はそこにあった。今でこそ、その盛りのうわさを聞きつけて東京近郊から「密航」してくる人間が後を絶たないが、開店直後は一体どんな感じだったんだろう。地元住民向けの店であったことは間違いないだろうが、なぜ容赦ない盛りの店になったのかは謎だ。

盛りが良い、というのは見た目のインパクトで口コミによる集客効果を期待することができる。このお店だって、無謀な盛りっぷりをするのは大なり小なり広告効果を狙ってのものだろう。しかしだ、住宅地の中という立地でお店を始めたところからすると、果たしてどこまで広告宣伝で集客をしようと思っていたのか、よくわからない。立地条件が悪いからこそ、盛りで勝負をかけたのか?それともマイペースで営業していて、盛りの良さは特にウケを狙っていたわけじゃないのに気が付いたら人気がでたのか?

そういう事をあれこれ考えると結構楽しい。お店の人に聞いてみても良かったのだが、種明かしはまた次回以降の楽しみに取っておこう。

お食事処ぼんちの看板

お食事処ぼんち、の看板。

webサイトによっては、「ぼんち食堂」と紹介されているところもあるようだが、正式名称は「お食事処 ぼんち」のようだ。

お店の中に入ると、壁のいたるところに色紙が貼られていた。どれも、テレビの取材で訪れた芸能人、アナウンサーのものだった。大抵の人が凄い盛りの前にギブしてしまったらしい。「食べきれなかった」だの、「今度こそ頑張る」といった苦笑いを浮かべつつしたためたと思われるコメントが色紙に書かれていた。

このお店、テーブル席、お座敷席のほかにカウンター席もあった。一人客はカウンターに座ることになる。こういう和風なお食事処でカウンターがあるとはちょっと意外だった。

さて、実はあまりこのお店のメニューについて事前学習をしていなかったのだが、中華丼の盛りが素晴らしいということだけは耳にしていたので、自分も中華丼をオーダーしてみた。そういえば、先ほどの色紙にも「中華丼で玉砕」したような事を書いたものが何枚かあったな。このお店の看板メニューなのかもしれない。

衝撃の中華丼

待つこと10分程度で、中華丼が到着した。

!!

事前にこの「犯行現場」の写真をwebで見たことがあったので、実物を見てものけぞる驚きは無かった。しかし、それにしてもやっぱり強烈な衝撃を与えるな、この光景は。「犯行現場」という表現がぴったりだ。盛りやがったなこの野郎、という感じだ。

問題なのは、これが中華丼であるという事が外観からはわからないということだ。五目うま煮そばかもしれないぞ。・・・ご飯が一粒たりとも、確認できない中華丼は初めて見た。いや、ご飯粒が見えない中華丼は過去にも見たことがあるかもしれない。しかし、「ご飯が盛られている輪郭」くらいはなんとなくわかったものだ。

されど。この中華丼、丼のすりきりまであんが盛られてしまっているので、完全にご飯の存在がわからない。驚きを超越して、呆れの感情が強い、これだと。

これは「美貌の盛り」ではない!!断じて美貌とは言わせない。盛りの美的センスにおいて、過去紹介した「まんてん」が凶悪であると判断していたが、この中華丼はその上を行っている。いや、上ではなくて下か?いくらなんでもやりすぎだ。

溢れたのではない。溢れさせたのだ。

横からどんぶりを眺めてみる。すらりとした形ではなく、どっしりとした恰幅の良い器だ。これいっぱいに中華丼が収まっているとは、とうてい信じられない。・・・上げ底でもしてるんじゃないのか?・・・と勘ぐりたくなってしまうくらいだ。それくらい、具が当たり前のように、平然と、冷静に丼からあふれかえって下の器に零れている。普通、盛りすぎて器から具がこぼれる時は、こぼれた具が何とも無念そうにしているものだ。「やられた。」とぼそりとつぶやく、そんな感じだ。しかし、今回の中華丼は、田舎の子供が橋の欄干からざばーんと川に飛び込む光景のように、あっけらかんとして具が下にこぼれ落ちている。何なんだこの解放感は。

こぼれるかこぼれないか、という瀬戸際の盛りはある意味エロスである。しかし、この中華丼に関して言うと、全然エロスが感じられない。苦悩も、葛藤もなく「盛っちゃいましたー」というお馬鹿な開き直りが感じられる。

こうなってくると、「器」とは一体何か、という既成観念から再構築しなければならない。盛るためにあるのが器というカテゴリーだが、こうやってこぼすことが前提になってくると何か新たなカテゴリー総称をつけてあげないといかんのではないか。そんなしょうもないことを真剣に考えてしまった。

「いや、でも、お酒だってそうじゃないか」

と考え直す。清酒をいただくとき、升の中にグラスを入れ、そのグラスにお酒を注ぐということをよく居酒屋ではやる。グラスからお酒があふれ出し、やや升の中にお酒がたまったところで注ぐのをストップ。これで約1合、というわけだ。こぼれる事を前提にした器はお酒にも存在する。

でもなあ、お酒を注いで貰うときって、ついつい「おっとととと」と升に溢れる様を見て声をかけてしまうが、この中華丼の場合だったら「あーあ」がふさわしいような気がしてならない。

近接マクロでの撮影。

迫ってくる感が強いまあ、ついつい貶してしまったが、実際はこの強烈な盛りを前に「獲物を見つけたハンター」の気分になって高揚していたのは隠しようのない事実だ。キャベツ、もやしといった野菜がたっぷり入っているのも魅力だ。

しかし、恐るべきはあんかけだった。もともと片栗粉で粘りをつけたあんは冷めにくいものだが、こんなに大量の熱源があるため、冷めないったらありゃしない。食べ進んでも、全然温度が下がらず、常に口腔内火傷の心配をしなければならなかった。

真上から撮影すると何が何だかさっぱりわからない

真上から撮った写真。何の料理だかさっぱりわからない。

ご飯の量は思ったより多くなく、このかさの多さはあんに依るものであることが判明した。ご飯はスープの中に埋没している状態で、鍋の残り汁で作ったおじや、といった風情。中華風おじや、と形容してもいいような料理だった。

見た目ほどボリュームは感じられなかったが、通常の胃袋の持ち主だったら一発で粉砕することができる盛りだ。別にこれが「大盛り」なわけではなく、ただ単に「中華丼お願いします」とオーダーしたら出てくる料理だからこのお店は凄い。凄いというかクレイジーだ。愛すべきクレイジーだ。中華丼なんて、結構気軽に頼むものだ。マニアックなメニューではない。何の気無しに頼んでこれが出てきたら、普通のお客さんは「何かのドッキリ?」と周りをきょろきょろして隠しカメラを探すのではないか。

驚きなのは量だけではない。いくらだと思います?これで、650円。どうなってるんだ、このお店は。道楽でやってるとしか思えない。

隣のお客さんは餃子とライスを注文していたが、この餃子がまたでけぇことでけぇこと。通常見かけるサイズの3倍から4倍は大きいサイズの餃子がごろんごろんと。そのまた隣のお客さんはラーメンを食べていたのだが、これも半端なく大きい。食べているおっちゃん、さっきから全然量が減っていないんですけど。

聞くところによると、ここで「ラーメン大盛り」を頼むと、お店のチャレンジングスピリットに火がつくというか、逆鱗に触れるというか、10玉入りの「これでも食らえ」状態の丼が出てくるらしい。ここまでくると天晴れとしかいいようがない。

ぼんち、遠路ではあるがこれからもいろいろ食べてみたいものだ。最終的には10玉入りラーメンという盛りに登頂することが目標かな。

(2005.04.03)

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