牛かつ おか田

『ビーフランチカツセット』
(東京都港区新橋)

店名看板

「食楽」だったか「dancyu」だったか、何かのグルメ雑誌でこのお店の事を知った。知った、というよりもその料理写真に驚愕した。

外見は普通のカツ。しかし、その中には燃えさかるかのように真っ赤な肉。

このインパクトは相当なものだった。

普段、私の人生で慣れ親しんできたのはトンカツだった。だから、母親が家庭でトンカツを揚げてくれたとき、「中がまだ赤かったら言いなさいよ、火が通ってない豚肉を食べたらおなかが痛くなるんだから」と言われたものだ。赤いカツ=悪、だった。

最近は豚肉の質が良くなり、お店では火が通りきる直前のピンクな肉を出すことも多い。だから、必ずしも「赤が悪い」というわけではなくなっている。しかし、それにしても雑誌に掲載されていたカツはあまりに赤かった。というか、これは明らかに生肉だ。生肉にカツの衣がついた料理だ。

本能的に「これは危険な食べ物だ」と警報が大脳皮質内を駆けめぐったが、当然プロがお店で提供している料理であり、危険なわけがない。こんな芸当ができるのも、牛肉だからこそなのだろう。普通の豚肉だと、いくら何でも生は危険だ。

実際この目で確かめ、舌で味わってみないとこの衝撃から立ち直れそうになかった。ちょうど近くで午後に仕事の予定が入っていたので、後輩を引き連れて移動がてら訪問してみることにした。

場所は、新橋駅前のニュー新橋ビル。金券ショップや飲食店、マッサージ屋、病院、パチンコ屋・・・とありとあらゆるサラリーマン向けなお店がひしめいている雑居ビル。新橋の象徴とも言えるビルだ。この地下一階に目指すお店は存在するという。迷路のような道を「おっかしいなあ、見つからないぞ」とぐるりと一周回ったところで、一カ所だけ何やら怪しい行列ができているお店を発見。ここが牛かつおか田だった。

他の、「夜は居酒屋になります」的な飲食店だと、お昼前ということもあってまだお客さんはほとんど居ない。しかし、このお店だけは、店先に6名、7名の行列が既にできていた。ここだけ、一種異様だ。どうやら、繁盛店らしい。

「牛かつ おかでん、ですか?ひょっとしてご親戚が?」

「誰しもが想定するようなボケはやめなさい」

後輩をたしなめる。

「じゃあ、牛、かつ、おか田 ・・・ですかね。牛であり、なおかつおかでんさんである、と。共食いですねふふふ」

「あの真っ赤な肉の写真を見た後、共食いなんて言われたら食欲無くしそうだよ。やめれ」

カツ屋には100%見えない外観

このお店、外からお店の中をうかがうことはできない。

もともとスナックだったのか、喫茶店だったのか。カツ屋の外観とは思えない。居抜きで入居した可能性がある。

こういう「中が見えないお店」は正直胡散臭くて、中に入ってみようという気が起きない。少なくとも、通りすがりにここで食事を摂ろうとは思わない。それを考えると、雑誌にて紹介されたっていう事に対する影響力は素晴らしい。普段足が向かないお店に、客足を向けさせる力がある。しかも、この文章のように、二次的宣伝効果も期待できる。飲食店が協賛費用払ってもグルメ雑誌に掲載を依頼するのがよくわかる。

お店の外壁や扉にはたくさんの写真入りメニュー紹介や雑誌で紹介されました系の切り抜きが飾られていた。一見さんにはちょっと敷居の高い店の外観を、お店側としても気にしているのだろう。

メニュー

ランチメニューは扉にぶら下がっていた。

トップに表示されているのはビーフソースカツ丼。しかし、当店のおすすめ品!というPOPが掲示されているのは三番目に記載されている「ビーフランチカツセット」だった。私が雑誌で見て衝撃を受けたのも、これだ。ビーフランチカツセット、ライス・みそ汁付1,100円。

後輩に「何を頼むの?」と聞いたところ、「私はやっぱりビーフランチカツセットにします」と言う。先輩である私が食べようと思っていたものをニコヤカに取られてしまった。せっかくだから違うメニューを選ぼう、と思ったが、雑誌で見たインパクトは捨てがたく、私も同じくビーフランチカツセットを選ぶことにした。

ただし、メニューに小さく書かれていた「セットのライスおかわりは、お一人様いっぱい無料サーヴィスさせて頂きますので、ご希望の方はお申し付けください」を見逃さなかった。後輩と差別化を図るため、自分自身はライスおかわりをしようと誓う。

あと、「ランチビール300円」というメニューにも激しく惹かれた。小振りなビールだから、ちょっとだけ飲んでもばれないよね?的な、お客心理をくすぐるこの売り方がなんともうまいというか、そういうのに動揺してしまう自分が悔しいというか。

おか田を紹介する雑誌記事(1)
おか田を紹介する雑誌記事(2)

お客の回転は比較的良い。一人お店から出てきて、それと入れ替わりに一人入って、という具合。ただ、店内が見えないので、どれくらいの客席数なのかがさっぱりわからない。

待っている間、雑誌の切り抜きを見ながら口の中に唾液をためる。

お店の扉には、「30秒で揚ります お待たせしません」と書かれたホワイトボードがぶら下がっているのだが、肝心の店に入るまでにお待たせしちゃってる状態。

とはいっても、カツ屋の行列としてはあるまじき速度で行列は前に進み、入店することができた。

シークレットとされてきた店内は、うなぎの寝床状態。L字形のカウンタ席と、壁にへばりつく状態でのテーブル席少々。全部で15席前後程度だったと記憶している。行き来するのも不自由するようなぎりぎりの店内だ。われわれ二人は、ビーフランチカツセットを注文。(注文する時は番号でオーダーする。ビーフランチカツの場合は「3番お願いします」と店員さんに伝える)

あっという間に出てきたビーフカツ

揚げ時間30秒、ということだったが、本当に注文してから1,2分でテーブルに料理が届けられた。でき合いの料理かのような素早さに、あらかじめ知っていたとはいえ驚いた。電子レンジよりも早いぞ。

出てきたのは、良い色に揚がったカツ。思ったよりも大きい。そして、肉厚だ。こんなに香ばしい状態なのに、揚げ時間30秒とはとても信じられない。210度の高温で揚げているからなのだが、それ以外にもパン粉が非常に細かいというのも、短時間で揚げることができる理由の一つなのだろう。

外観の揚がり具合とアンバランスな、中の生な状態

これだけの色で揚がっているんだから、中も当然十分に火が通っているんだろう・・・

と、知っている癖に敢えて「中に火が通っているはずだ」とうそを思いこみつつ、箸で牛かつを倒してみる。

出た。

雑誌で見た通りの、真っ赤な肉が登場。

実物を間近で見たが、これは問答無用で生だ。みよ、この肉のつややかさを。したたる肉汁、なのではなく、単に生だからこうなるわけだ。

天ぷら屋で、おもしろ料理として「アイスクリームの天ぷら」という一品が存在するが、それと雰囲気は似ている。中は火が通っていないけど、外はきっちりと火が通っているという不思議な状態。これは非常に美貌なるカツである。そして、今まで見たことのないビジュアルである。私は思わず食することを忘れ、その光景に釘付けとなった。

しばらく、美貌の光景を楽しんだのち、気になる試食をしてみることにした。・・・ああ、実際はお金を払って、客として食べるわけだから「試食」という表現は正しくない。しかし、気持ちとしては、何かチャレンジャー、というか怖いモノ見たさ、というかそういう心境が働いていたのも事実。だから、つい「試食」なる表現を使ってしまった。

一口食べてみる。

表面のかりっとしたカツがとても香ばしい。その後、ぐいっと歯をくいしばると、そこには「想像しているものと違う」食感が待っている。うん、刺身に近い食感だ。ここまでくるとレア肉とは呼ばせない。本当に生だ。しかし、生肉であるが故の歯ぬかり感であるとか、生臭さといったものは皆無。衣と同様に、すっと歯が通った。この柔らかさは素晴らしい。筋が残っていたら気持ち悪い食感になるので、恐らく下ごしらえをきっちりとしているのだろう。

わさび醤油でいただくと美味なのだ

「生っぽい肉なんてそうそう量は食べられないでしょう」と思っていたのだが、油っぽくないこともあってこれはこれで結構食がすすむ。肉自体がおいしいこともあるが、それよりもたれが食欲を増す。

このお店の場合、たれを入れるための平皿は真ん中に仕切りがあるタイプのものだった。聞くと、片方にはお店オリジナルのごまだれ、もう片方には醤油を入れるのだという。

醤油。カツに醤油、という組み合わせは意外だった。そういえば、カツが載っているお皿には、カラシがあるべき場所にワサビが添えてあったっけ。完全に和風テイストだ。

なるほど、と感心しながらカツにわさびを載せて、醤油をちょっとつけて食してみる。カツにわさびを載せた時、「見たことがない光景だなあ」と我ながら感心する。

一口食べてみて、あらためて感心した。あ、これはおいしいぞ、と。まあ、一言で言ってしまえば、刺身を食べているのと全く変わりないのだが、牛肉で、カツの衣をまとっていて、わさび醤油というのは素晴らしく新鮮な体験であった。もともと食べやすい牛カツであったが、このわさび醤油でますます食べやすくなった。

結局、お隣のごまだれはほとんど使われなかった。圧倒的に、わさび醤油の方がこの牛カツにあうからだ。

気が付いたら、結構な量あったはずのカツは無くなっていた。しかし、これも「気が付いたら」なのだが、結構な満腹感もあった。ぱくぱく食べられるけど、後になって「あれっ、満腹だ!」と気づく。 ただ、後輩は全部食べきることができず、「すいません、私おなかいっぱいなんで、共食いになりますけど残った牛かつ、手伝ってもらっていいですか?」と私に依頼してきた。「共食いは余計だが、残すのはもったいないので食べます」と余さず食べたが、ますます食べ過ぎだった。

見た目のインパクトは素晴らしいし、実際のところおいしい。「何か面白いお店は無い?」と友達に聞かれたら、このお店を紹介するというのは気の利いた演出となるだろう。自分自身のレパードリーに登録しておくべきお店だと思った。

しかし、牛かつという、やっぱりニッチな料理はいくら美味とはいえ、そう頻繁に食べたいとは思わないのも事実。しばらくはこの美貌に再会する機会はなさそうだ。

(2006.05.30)

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