くらげを棒でつつく

弊息子タケが「新幹線、見たい」と言うので大井車両基地に行った。そのついで、羽田空港のすぐ北側にある城南島の人工海浜に行ってきた。

ここは東京都の埋立地とは思えないくらい、幅のある砂浜が広がっている。そして上空を飛行機が頻繁に行き交うので、かなり非日常感があって面白い場所だ。羽田空港B滑走路に着陸間際の飛行機が、轟音を立てて文字通り頭上を通り過ぎていく。

この砂浜は遊泳禁止なのだけど、波打ち際でバチャバチャやるのはもちろん可能だ。我が家はそのつもりでここに来たのだが、海を見ると7月中旬にもかかわらず海にはいたるところにミズクラゲが浮いていた。

ミズクラゲは刺されてもそこまで人体にひどい痛みを与えないものの、とはいえ触りたくはない生き物だ。なんとか避けつつ水遊びができる場所がないか?と探したが、どこもかしこも波打ち際にはクラゲが大量に押し寄せていて、海に足を浸けることさえはばかられるレベルだった。

仕方がないので、水遊びは断念した。

タケは、落ちていた流木で砂浜の上に転がっていたクラゲをツンツンつつき、「怖い」と言っていた。

最近の彼は、「怖い」という概念がすっかり板についてきた。親としてわからないのが、「怖い」という概念がいったいどのように頭の中で形成されたのか、ということだ。

この「オカ・デウス」のコーナーを立ち上げた当初から、僕にとってとても強く関心があったのは、子どもにおける形容詞の獲得過程だった。「美味しい」という言葉を発するためには、「美味しくない」ものも体験していないといけない。「大きい」を理解するには、「大きくない」または「小さい」サイズのものを知っていないといけない。そういう比較対象を経験し、脳に記憶として貯蔵し、眼の前の事象と比較検討する必要がある。

「大きい」「小さい」くらいなら、単にサイズの話であって数値に置換することができる。しかし、「怖い」という形容詞はものすごく概念的で、一体彼が何をどう理解して「怖い」と思うに至ったのか、それがわからない。

これまでは、彼と暮らしているうちに、概念的な言葉を獲得していく過程を観察できると思っていた。でも、結局見逃してしまった。一体何が彼を怖がらせているのか。

いずれ、「幸せ」という言葉も彼は獲得するだろう。そのときが一体いつで、どういう時に幸せと感じるようになるのか、ちゃんと観察したいと僕は思っている。

(2023.07.16)

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 恐竜博の記事でも「怖い…」が登場してましたね。

    「『こわい』を分析すると、ほとんどが『知らない』と『わからない』でできている。だから知識が必要なんだ」というようなツイートを見かけて「なるほど」となりかけたけど、「怖い」って決してそれだけじゃないですよね。それってあくまでも「怖さ」の一部であって、全てじゃない気がします。
    クラゲの件にしても、上記ツイートの通りならば「得体のしれないものだから、怖い」なのかもしれないけど、それだけじゃない気もするし。「クラゲ=刺す」という概念があるからこそ、ツンツンつつくという行動に出てるようにも思える(怖いもの知らずならさわりに行っちゃうでしょうから)。この場合は逆に、知識があるからこその怖さでしょう。
    実際、上記ツイートの紹介にも「生理的嫌悪とか身体的脅威とか、もっと主要成分あるだろw」ってなコメントがついてました。

  • 一平ちゃん>
    考察ありがとうございます。
    人類は言語を獲得したことによって、「人間を襲うかもしれない猛獣」に「ライオン」とか「トラ」といった名前をつけ、仲間にその情報を共有することができ、恐怖を克服しながら世界中に安住の地を求めて展開していくことができたのだ、という説がありますね。その話を思い出しました。

    得体のしれない怖さ、という話でいうと、「死」に対する恐怖というのはいったいいつ頃に感じるようになるのか、今後の彼の言動を観察していきたいと思っています。

    現在の暮らしが消滅することに対する恐怖、自分の魂?が消えるのか、黄泉の国に行くのか、いずれにせよ別次元に向かうことに対する恐怖、そしてケガレに対する恐怖。

    まだ彼は「死ぬ」ということを実感する機会がなく、セミが公園の地面にひっくり返っていても「ネンネしてる」という程度の理解です。あと数年で「死ぬ恐怖」を理解することになるのだろうか?

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