結婚してから、静岡も僕のふるさととなった。
正月なので、静岡に帰省。
いしが、「(久能山)東照宮に登ってみよう」と言う。「行けるうちに行っておかなければ」と。
ここで言う「行けるうちに」というのは、いしの母親が歩けるうちに、という意味だ。
幸い、いしの母親(僕の義母)は現在足腰が達者だが、今後も無限に気力体力が続くわけではない。やりたいことが10個あったとしたら、体力を要するものから優先順位付けをしてどんどん実行していかないと、残された時間は短い。
「残された時間は短い」というと不吉だが、そんな心構えで親とお出かけしたりいろいろな体験をしておく必要がある。健康寿命が尽きてから「もっとアレをやっておけばよかった」と後悔しても取り返しがつかない。

とはいえ、久能山東照宮に登る、というのは結構なスパルタンだ。
標高216メートル。
海岸線すぐそばにそびえる山なので、海抜ほぼ0メートルから一気にこの山に登らないといけない。つづら折れの石段がひたすら続き、参拝客は黙々と崖ともいえる急坂を登る。
救いなのは、石段の段差が低く歩きやすいこと(僕のように登山をやる人からすると、低すぎてむしろ歩きにくいが)と、登れば登るだけ駿河湾の景色が眼下に広がるご褒美が待っていることだ。
ただ、家族でこの石段を登って東照宮に行こう!という発想は僕にはなかった。少なくとも、前期高齢者である義母に僕が提案するという立場にはなかった。でも、いしが「行こう」といい、義母も乗り気で、この日は全員で石段を登ったのだった。
老若男女さまざまな人が新年のお参りに訪れていたが、70歳近い義母が歩き、3歳の弊息子タケが歩く我々御一行様というのは珍しいチーム編成だったと思う。

いつもは僕がカメラを構えると、「恥ずかしい」と言って顔をそむけたり変な顔をしてふざけるタケ。
この日はいつもと違い、「ねえ、写真を撮って」と言う。
どこで写真を撮って欲しいのかと思ったら、奉納されたキャノーラ油の一斗缶と、清酒の樽が並んでいるのが珍しかったらしい。これを背景に写真を撮って欲しかったらしい。
彼が自ら写真撮影をねだったのは、人生で初めてのことだ。それがこの背景とは。
「お参りするとき、『将軍になります』とお祈りするといいよ」と彼に教える。樽酒の銘柄が「将軍」だったからだ。
すると彼は律儀に、東照宮のところで手を合わせ、
「タケちゃんです。よろしくお願いします。いっぱい食べて、いっぱい寝て、大きくなります。将軍になります」
と大きな声で挨拶し、ペコリとお辞儀をした。
徳川家康公が祀られている東照宮で、「将軍になります」宣言とはスケールがデカい。我が子ながら感心した。
彼はその後、東照宮の背後にある家康公の霊廟でも、「将軍になります」と宣言していた。
彼がどういう将軍になるのか、将来が楽しみだ。「番長」とか「大将」、「親分」といったスケールではなく、「将軍」なのだから親としても想像がつかない。
なお、参拝する際、彼は「南無大師遍照金剛」と唱えていた。タケ、それは違う。真言宗のお経だ。
彼の頭の中はまだ神仏習合状態で、お仏壇の前で柏手を打ったり、神社の前で光明真言を唱えたりする。

翌日は、静岡駅から徒歩で20分ほどの場所にある「八幡山」に登ってみた。
平野が続くエリアの中に、ぽつんと浮き出ている山だ。標高63メートル。
麓に八幡神社があり、参拝の後に山頂を目指した。
義母は2日連続の登山。「お疲れはでていませんか」と声をかけるも、大丈夫だと言う。
これも企画したのはいしだ。

神社から最短ルートで山頂を目指したら、途中の道が不明瞭で足元がズルズルすべるような道を歩くことになった。お義母さん、大変。
山頂は広々とした広場になっていて、タケ大喜び。「かけっこしよう!」と言い出し、大人一人ひとりとハンデキャップ付きかけっこを何度も何度も繰り返していた。子どもの本気走りにつきあわなくてはいけない大人は大変。義母はもっと大変。
「これだけ走り回れば、タケは今晩よく寝てくれるだろう」と思うものの、大人たちの方が疲れたかもしれない。
今までは「大人の体力>子どもの体力」で、子どもをヘトヘトにさせるのは簡単なことだった。でも、そろそろ子どもの方が体力で勝りはじめ、大人がヘトヘトになる方が先になってきた。
(2023.01.04)
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