子どもでも美術展は面白がる

はや何十回も美術館・博物館に行っている弊息子タケ。

目を肥やして知識を増やして欲しい、なんてだいそれたことは僕は考えていない。そうではなく、世の中にはどえらい才能を持った人がいて、すごい作品を作っているんだという事実を彼には知ってほしいと思っている。

そういうものを見ておかないと、眼の前のショート動画をはじめとする、「消費され、消えていく文化」の快楽に流れて行ってしまう時代だからだ。彼には、もっと人類に通底する「美」について、なんとなく触れておいてほしい。

そのうえで、ショート動画に動画を投稿するでも、YouTuberになるでもなんでもやればいい。

彼が生後4ヶ月のときから美術館に通っていることもあって、美術館・博物館という空間を「辛気臭くて、つまらない場所」というネガティブイメージでは捉えていない。むしろ、新しい絵本を読むときのような、ワクワクした顔つきで作品を眺めている。

そうはいっても所詮彼は3歳児だ。すぐに飽きるだろうし、理解不能で面白くないと感じることもあるだろう。そこで、僕は彼につきっきりで小声で話しかけている。

「この絵は何が描かれているのかな?」「鳥は何匹いる?」「このひとは何をやっているのかな?」などと。

そうすると、襖絵のような大きな絵が彼にとっては「ウォーリーを探せ」的な娯楽に見えてくるらしい。喜んで、「あそこにいたよ!」などと僕に教えてくれる。

3歳児は、まだまだ親との会話時間をとても大事に思ってくれて、楽しむ年頃だ。僕ら親子にとって、芸術作品を鑑賞する時間は格好のコミュニケーションタイムとなっている。

僕が子どもの頃はこういう体験は全然なかった。なので、未だに仏像を見ても、日本史の授業の延長線上であれこれパーツを鑑賞してしまう。一方、タケはというと「手に何を持っているのかなー?」「頭の上に子どもが乗ってる!」などと法隆寺宝物殿の飛鳥時代の菩薩像をいちいち楽しんで鑑賞している。別の展示で、手が6本あるナントカ明王を見たりしたら、「すごい!」と驚いている。楽しんでいるようで何よりだ。

ただ、残念ことがある。美術館・博物館で作品を鑑賞するのは良いのだけど、その驚きや楽しみを自分の創作活動に活かそうとしないことだ。真似して絵を描いてみよう、とか粘土で作品を作ってみよう、という発想がまったくない。コンテンツとして作品を消費しておしまいだ。

どうやって、「インプットした情報を自分なりにアウトプットする習慣をつけさせるか」が僕にとって子育ての最大の課題だ。

(2025.02.15)

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