
驚いた。
お店にメニューがない。お客はただ、店員のなすがまま。
そんな焼肉屋に行って来た。同僚の奥さんが行きつけのお店らしく、同僚に連れられて訪れた。「料理はもう、お任せ。なすがまま。でも肉がとてもおいしいんだよ」と同僚は言う。
どんなものか全くイメージできなかったが、とりあえず着席する。店長とおぼしきお兄さんが「この一角は開けておいてね、僕の席だから」と言いながらわれわれをコの字型に着席させた。「僕の席」?店長もご一緒するんですか?
席に座ってテーブル周辺を見渡すが、確かにメニューが見あたらない。壁を見ても、「カルビ」だの「ロース」と書かれた短冊が張り出されているわけではない。本当にこのお店はメニューがないお店らしい。
ではどうやって注文するんだろう。
「今日はいっぱい食べるんでしょ?」
韓国の人と思われる女性店員さんが、同僚にいたずらっぽく話しかける。
「いや、今日は普通で。7,000円くらいで抑えるんで。そうみんなに話して、今日ここに来て貰ってるから」
とけん制をかける。
「怖いんだよなー、ほっとけばどんどん料理を持ってこられそうで」
と同僚はぼやく。完全に主導権はお店側に握られている、というわけか。
まずは、韓国料理らしくナムルやカクテキ、キムチといった小皿が鉄板の周囲にずらりと並べられた。その数8種類。どれもおいしい。
「これ、全部食べちゃったらお代わりできるから」
「それは、有料なの?」
「さあ?知らない。お金取られてるんだか、取られてないんだかさっぱり」
なんとも曖昧だ。

まもなく、店主が大きな肉とハサミを持ってわれわれのテーブルにやってきた。そして、先ほど、「僕の席」と宣言したテーブルの一角に陣取り、どんどん肉をさばきはじめた。
「ほーぅ、このお店は肉を自分で焼くのではないのか」
「そうなんだよ。全部お任せ。メニューもお任せだし、焼くのも全部お任せ。もう、俺らただアホみたいに座って食うだけ」
高級なすき焼き店に行くと、仲居さんが肉を焼いてくれるというが、それと同じ感覚のサービスってことか。へぇー。感心するが、こりゃ高コストなサービスではある。
ハサミで次々と肉を刻んでいく。ものすごく切れ味が良い。そのことを店主に告げたら、「なかなかいいハサミがなくて、大阪まで行って仕入れてきたんですよ」と言う。このお店においては、店主のハサミさばきは一種のショーだ。われわれ「ただ座っているだけ」の客からすれば、目線は必然的にハサミと肉に集中するわけで、切れ味鋭いハサミでないと店主がかっこわるい思いをすることになる。
軽く火が通ったところで、肉を各自の取り皿にぽんぽんと取り分けてくれた。われわれはそれをいただくだけ。まるで、巣で親鳥から餌をもらう幼い鳥のようだ。
味はもう、いうまでもない。うまぁ。

とにかく豪快にどんどん焼いていく。「一人頭の予算7,000円」と言ってあったので当然それなりの良いお肉がでてくるわけだが、それにしてもこういう固まりをみるとびびる。「えっ、ソレを焼くんスか?で、僕ら食べちゃうんスか?」と、思わず問いただしてしまった。

また例のごとく、ハサミでちょきちょき切って、焼いて、取り分けて。
ビールのタンブラーが空になった頃を見計らって、店主が「そろそろ違うやつにしましょう」と言ってきた。
でてきたのは、マッコリを入れるのにつかう土瓶。てっきりマッコリを入れるのかと思ったら・・・
まず、韓国焼酎をどぼどぼ・・・と入れ、その後に同量の白ワインを。焼酎の白ワイン割りの完成。うへー、全然「割り」になってないぞ。アルコールが薄まってないじゃないか。
これがこのお店の「定番なお酒」らしい。同僚は毎回ここでこの「悪酔い必至飲料」を飲んでいる・・・というか飲まされている・・・らしい。
恐る恐る飲んでみる。・・・あれ、おいしいや。さっぱりしていて、飲みやすい。アルコール臭くもない。これは女性でも飲みやすいと思う。ただ、アルコール度数は20度近くあるので、調子に乗ると相当やばいわけだが。
「レモンをね、ちょっと入れるとまた飲みやすくなるから」と店主がきをきかせて、グラスにレモンの切り身を入れてくれた。いや、ありがたいんですけど、これでさらに飲みやすくなっちゃったら僕ツブれます、確実に。
店主の「計らい」はまだまだ続く。グラスの「焼酎ワインmix」が減ってきたなーと見るや、すぐにマッコリ瓶から継ぎ足してくれる。瓶の中身が減ってきたら、われわれの了解をとらずにどんどんワインと焼酎を追加投入していく。ここでも、われわれに選択権はない。ただただ、なすがまま。

だんだん、こうなってくると記憶が怪しくなってくる。
次々と肉がでてくるのだが、焼き上がるまでに若干時間がかかる。その間は焼酎ワインmixを飲むしかないわけで、どんどん酔っぱらってくる。あ、いかんなーと思っているのだけど、注がれるからにはしゃーない、って感じだ。
勢いよく継ぎ足されていく焼酎やワインを前にして、誘ってくれた同僚に聞いてみる。
「ここは飲み放題なのか?」
「それすら、わからんのよ。ああやってばんばん追加されているけど、帳簿つけているようには見えないんだよなー。飲み放題じゃないと思うんだけど、その割には管理がずさんなような」
お店の人に真相を確認しても良かったのだが、ここまでくると妙に面白くなってきた。黙って、お任せにされてみることにした。

厨房のカウンターに、なにやら高級そうな肉がスタンバイされている。
「おい、あれもウチらのか?」
「さあ、わからん」
「もう肉はいい加減いいぞ。誰だ、あんなの頼んだやつは」
「誰も、何も頼んでないよ。この席に着席してからずっと」
幸い、この肉は別のテーブルに運ばれていった。別のテーブルでは「なすがまま」オーダーになっているのかどうか、状況を確認することができなかった。
最後、冷麺がでてきたりデザートがでたようだが、このあたりは記憶に濃い霧がかかっているので、あまり語ることなし。いやぁ、すごい体験をした。
後日、精算をしたのだが同僚から「すまん!一人1万円で頼む。あの韓国人店員め、7000円に抑えてくれっていったのに、容赦しなかった」と言われた。はっはっは、やられたなあ。笑っちゃうしかない。
肉はおいしかったし、十分に楽しめたのは事実。お金に余裕があるとき、「いくら取られてもいいや」という覚悟のもとに訪問するにはいいお店だと思った。ただし、酔いつぶれそうになるのは必至なので、金曜日の夜で、かつ年に1回か2回程度で十分だが。
(2005.08.27)
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