埼玉県は日高市にある「醤遊王国」に行ってきた。
「醤遊王国」とは、弓削多醤油という醤油メーカーの、醤油蔵兼直販施設のことだ。なかなかにうまいネーミングだと思う。「しょうゆ」という言葉を語呂合わせしている。ひしおであそぶ、というのは意味としてちゃんと成立している。
この施設訪問の経緯は、先行して掲載した「美貌の盛り」の「たまごかけご飯」編に記載されているので、そちらを参照願いたい。
カーナビで入力しても、該当する施設は見つからない。「醤遊王国」のオフィシャルwebサイトを見ても、「カーナビでは見つからないので、近くの蕎麦店『西天神』を目印にしてね」とされている。実際、訪れてみたら、カーナビの地図にすら載っていない道の中にその施設はあった。はっきり言って、相当な田舎だ。周囲は畑が広がり、民家の数すらそれほど多くない。なぜこのようなところに施設を、と不思議に思うくらいだ。
幸い、案内看板は道中ところどころにあったので、迷うことは無かった。
醤遊王国。小さな施設だ。二階建ての建物で、巨大な民家程度の印象しか受けない。歴史を感じさせる建物で杉玉がぶら下がっている酒蔵のようなものを想像していると、少々驚く。また、千葉県野田市のキッコーマンや、銚子市のヒゲタ醤油、ヤマサ醤油の巨大工場をイメージしても、やはり意表を突かれる。
しかし、大量生産を志向しない醤油蔵というのは案外この程度の規模なのだろう。
本社ともう一つの工場は坂戸にあるらしいので、こちらは「醤油蔵見学用施設として醤油を作っている」意味合いもあるのだろう。
施設そのものは朝9時からオープンしている。1階の直売所、2階の軽食コーナーが利用できる。その他、10時から1時間おきに工場見学ツアーが組まれており、こちらは予約無しで参加できる。
到着したのが朝9時過ぎだったので、10時の工場見学までの間、2階の軽食コーナーで時間を過ごすことにする。2階への階段の前には、軽食コーナーのお品書きが掲示されてあった。ここは、その日絞ったばかりの生醤油を使った「たまごかけご飯」が名物。ぜひ食べなければ。
その他にも、醤遊ソフト(醤油のソフトクリーム)などが売られているが、これはちょと特殊な味といううわさがあり、遠慮願った。
建物の傍らには、醤油を仕込むために使っていた木の桶が置いてあった。既に耐用年数を超えたものらしく、利活用として入口を作り、中に入ることができるようにしてあった。中にはベンチがこしらえてあるので、子供にとっては楽しいだろう。酒蔵の仕込みタンクと比べると、小降りだ。
桶には、説明書きが挟み込んであった。
大桶の職人は5名しかいない、と書かれてある。非常に希少な存在だ。宮大工以上に絶滅危機種の職人ではないのか?
この後の工場見学の際に、案内してくれた醤遊王国の方に「なぜこんなに少ないのか」と質問してみた。すると、「一度桶を作ると、400年くらい使えるから商売にならない」のだという。なるほど、納得だ。もともと、既に木桶など使っていない超大手醤油ブランドが市場で圧倒的シェアを持っている。木桶を使っている醤油蔵は、全国各地に点在しているとはいえその数と規模はそれほど大きくない。絶対数が少ない上に耐用年数が長いとなれば、職人さんの数が限られてしまうのは仕方がないことだ。
特に、発酵食品ということで、年期が入れば入るほど桶には菌が住み着く。そうおいそれとは桶を交換するわけにはいかない。その結果、大事に大事に使われ続けるわけだ。最近の「すぐに壊れて、買い換える」家電製品の対極を成している。
ただ、やはり定期的に木桶はメンテナンスが必要だそうで、5名の桶職人さんはほんの僅かな新規受注の他は、保守作業で全国を移動しながら生計を立てているそうだ。
二階の軽食コーナー。施設は新しく、木の色合いが清潔感を感じさせる。こんな片田舎なのに、と言ったら失礼だが、席数は結構用意されていた。しかし、団体客がやってきたらあっという間に満席だ。
軽食売り場のカウンター脇には、「絞り体験」というコーナーがあった。
ガラス張りの奥の部屋から、こちらに一本の角材が突き出している。これを押し下げればテコの原理で醤油が絞られる、という。
せっかくなので押してみる。シーソーのように簡単に動くのかと思ったが、とんでもない。もの凄く重い。というか、ほとんど動かない。
棒の上に全体重を乗せるようにしてみると、桶から醤油がちょろちょろと出てきた。おお、これが醤油絞りなのか。
あまりに重い(手応えがない)ので、自分が絞った醤油という実感がいまいち湧かない。しかし、今まさに醤油が産まれた瞬間ということで、一応感動しておく。
傍らには、ビニールで包まれた「絞りかす」が。1kg300円。何に使うんだこんなもの、と思ったが、自宅でもろみ漬けに使うのに良いという。工場見学の人に聞いたら、これで野菜を浅漬けにするととても美味だという。確かに、ぬか漬けよりもおいしそうな予感がする。とはいえ、漬物を食べる食生活とは全く無縁な自分であるし、ましてや自宅で漬けるなんて少々面倒。興味はあったが、やめておいた。
ちなみに、「たまごかけご飯」を食べた際に添えられていたにんじんのもろみ漬けは非常においしかった。浅漬けで、まろやかな味わいが特徴。
軽食コーナーの脇から、ガラス越しに醤油蔵を見下ろす事ができた。
てっきり、入口にあったあの木の桶がずらりと並んでいて、職人さんが脚立で上に登って櫂入れをしているのかと思っていた。しかし実際は、「桶が床下にある」ように高床になっており、職人さんは簡単に桶を見て回ることができるようになっていた。
桶によって色が違う。仕込みの時期が違うからだと思ったが、そうではなくて作っている醤油の種類が違うそうだ。清酒と同じで、醤油にも「仕込み時期」があるそうだ。確かにそりゃそうだ、発酵食品=生き物だ。年中いつでも作れるのはおかしい。
醤油蔵見学の際に職人さんに聞いてみたら、だいたい秋から冬にかけて仕込んでいるそうだ。いったん寒い冬を体験させ、暑い夏を経ることで良い味に仕上がるとのこと。
ただ、帰宅後にwebで醤油の仕込み時期について調べてみたところ、醤油蔵によってまちまちなようだ。「寒い時期に仕込むほど美味い」というところもあれば、「寒い時期に仕込むのは避ける」というところもあるし、「お酒と違って年中仕込むことができるのが醤油」というところがある。地域の気候や、作る醤油の特性、住み着いている菌の種類などによって仕込み方法が異なるようだ。
もちろん、大手メーカーは季節関係なく、ずっと大量生産しているはずだし。
仕込み蔵の解説。
桶が杉で作られているのは、杉が柔らかいので菌が棲みつきやすいからだという。建物も杉の木でできているとのこと。なるほどねえ。
ということは、酒蔵が「新酒できましたよ」という時に店頭にぶら下げる杉玉、あれは単に見栄えが良いからというだけでなく、酒蔵そのものが杉でできているからでもあるんだな。
ラーメン店が、スープを仕込む寸胴を変えただけで今までの味が出せなくなるという。あんなステンレス製のものでさえ、味が染みこむのだ。杉の木だと、一体どれだけ味と菌が染みつくというのだろう。こりゃ大切に桶と建物を使わないといけないな。安易に作り替えるわけにはいかない。
「菌といえば、オリゼーとかソーエが棲んでいるんですよね?」と、漫画「もやしもん」で得た知識を職人さんに聞いてみたが、それについてはレスポンスが無くスルーされた。どうやら知らないらしい。学術名は知らなくても、経験則で何をどうすれば良い醤油が作れるかを知っている、ということだ。ちなみにその職人さんの息子さん、「もやしもん」が好きだということなので、ちょっと不思議。職人さん自身がまだ若いので、子供といってもまだ数歳のはず。あの長大蘊蓄漫画の「もやしもん」が好きなんか?多分理解できないと思うんだが。恐らく、オリゼーの人形やストラップなどが好きなだけだとは思うが。
木桶の大きさは直径2m60cm、深さは2m30cm。
たくさんのボタンがあり、そのボタンを押せば該当する木桶の上の電球が点くようになっていた。それぞれの桶で仕込まれている醤油の種類が違う。こいくち醤油、さいしこみ醤油などが作られているのだが、それぞれの桶毎に大豆と小麦の産地と品種が違っていて興味深い。絶妙なブレンド方法があるのだろう。仕込むのに最低1年をかけているわけで、新種を作ろうとすると相当な手間暇がかかる。相当に大変だ。
職人さんによると、この醤油蔵では仕込んでから1年から1年半で製品にするそうだ。
そこで聞いてみた。「清酒や泡盛では『古酒』という概念があって、長期間熟成に評価がありますが、醤油の場合はどうなんですか?」と。すると、あまり長時間熟成すると、どろどろになってしまい醤油としてはあまりおいしくなくなるのだという。なるほど、納得だ。とんかつソースのような醤油はあまり有り難くない。
あれ?でも、たまり醤油は熟成期間が長くて粘度があるな。その件についても聞いてみたら、確かにそういう醤油もあるが、中には砂糖で粘り気を作っているものもあるので注意が必要ですよ、とアドバイスを貰った。知らなかった。
開閉可能ボタンの脇には、木の煙突のようなものがあった。ふた付きで、そのふたは開閉可能。この煙突は蔵と繋がっていて、ふたを開けたら蔵の中の臭いがするという。早速開けて見たら、むわっと発酵臭がした。ああ、思い出した。キッコーマンやヒゲタといった醤油工場はこの臭いに覆われていたっけ。つまり、あの辺り一帯はもの凄い量の酵母菌や乳酸菌が飛散しているということか。
「現在もろみ移動中」だそうで。ただし、今日は日曜日ということで作業はお休み。残念ながらどすんどすんという音は聞こえなかった。
職人さんの案内をうけながら醤油蔵を見て回る。
さすがに仕込蔵の中には入れないが、大豆を蒸す機械や麹と混ぜる機械などを見せて貰うことができた。
醤油の作り方はざっとこうだ。
大豆(または脱脂加工大豆)を蒸し、それと同量の小麦を炒って砕いたものを混ぜる。そこに種麹を加え、麹菌を大豆と小麦の奥にまで侵食させる。その後、塩水を混ぜ、木桶に写して熟成させる。これがもろみ。熟成後、絞って漉したものが生醤油。2階の軽食コーナーの「たまごかけご飯」で供されるのは、この「生醤油」だ。ただ、このままでは発酵が止まらないし、不要な蛋白質が残っている。それを除去するために火入れをし、殺菌する。その後、濁りの原因となるオリを除去し、ろ過し完成。一般流通経路に乗せるためには、このほか保存料などの添加が行われる。
この過程を経たものが「本醸造」醤油、ということになる。
スーパーにいけば、いろいろな醤油が売られているが、安物には「本醸造」という記載がない事に気がつく。値段がちょっと高いものになって、ようやく「本醸造」とラベルに記載される。この差は何か。
醤油には「本醸造」の他に、「混合醸造方式」と「混合方式」がある。要するに、手っ取り早く醤油を作っちゃえというものだ。
「混合醸造方式」は、仕込みでもろみを作るまでは「本醸造」と一緒なのだが、そこにアミノ酸液を加え、かさを増やした状態で熟成をさせる方法。確かに手っ取り早い。
さらに強引なのが「混合方式」。これは「もろみ」を熟成させてできた「生醤油」にアミノ酸液を加え、そのまま熟成過程もなくでき上がりだ。
ちなみにこのアミノ酸液とはなんぞや、ということになるが、いろいろな手法があるけど極端な例を挙げれば、「大豆などの蛋白質を塩酸で溶かしアミノ酸にし、それを水酸化ナトリウムで中和したもの」だ。本来、菌類が1年近くかけて蛋白質をアミノ酸に分解していく作業を、強酸性液で科学的にやってしまうのだから凄い。そりゃ効率が良いわけだ。だから、安い醤油に採用される。
究極的には、単なるアミノ酸液にそれっぽい味付けをすれば醤油もどきが作れるとも言える。「中国では、人間の髪の毛で醤油が作られる事がある」というのは、まさにそういうことだ。大豆のかわりに、髪の毛を溶かしてアミノ酸にして、味付けしてニセ醤油を作っているわけだ。
もっとも、日本では髪の毛を集めるコストよりも脱脂加工大豆を仕入れた方が安いので、このようなインチキ醤油は出回っていないのでご安心を。
職人さんが、もろみを布(圧搾布)に包む場所を見せてくれた後、蔵の外に連れて行ってくれた。そこには、絞り終わった圧搾布が山積みになっていた。ぺったんこになっていて、相当な分量だ。
二階にあった「しぼり体験コーナー」では何枚分使われているのか?と聞いてみたら、だいたい20枚くらいを毎日セットしているそうだ。
圧搾布を広げてくれた。
中には、こしあんのような絞りかすが板状になっていた。「食べてみます?」と言われたので、「えっ、食べられるんですか」と驚きつつ、少し頂く。そりゃそうだ、醤油の元なんだから、食べられないわけがない。食べてみると、もの凄い「蔵の香り」が広がる味だった。これはこれで美味いと思う。味は塩味、としか言いようがないが、香りの強さたるや市販の醤油の比ではない。
「これ、捨てるんですか?」と聞いたら、「牧場に提供している」とのこと。牛?牛がこんなもの食べるんですか?・・・と驚きの声を上げた時、ああ、と気がついた。そうだ、牛って塩を食べるんだった。牧場には必ず塩クレ場と呼ばれる、塩が置いてある場所があったな。なるほど、その手があったか。牛にとっては、塩が補給できるし、大豆の蛋白質や脂分が摂取できるので、栄養になるだろう。良いアイディアだ。廃棄するにはもったいないもんな。
なお、この圧搾布だが、使い捨てではなく何回も使うという。しかし、大豆は油分が多いため、何度か使うと布の生地に目詰まりしてしまい、使えなくなってしまうんだとか。写真に写っているのはまだ新しい布。これが醤油色に染まってきたら交換時。
脱脂加工大豆(油を絞ったあとの大豆)が原料の一部として使われる事があるのは、こうした理由もある。脂分が少ないため、圧搾布の目詰まりが少なくなる。もちろん、脱脂加工大豆は仕入れ原価が非常に安くできるというメリットも大きい。何しろ、「大豆油を絞ったカス」だから。アメリカあたりから安く仕入れる事が可能。
ただし、やはり醤油の旨みとしては脱脂ではない大豆を使った方が良いらしく、「丸大豆醤油」として売られている醤油は脱脂加工大豆を使っていない醤油であり、値段が高い。
1階の売店では、弓削多醤油のほか、いろいろなものが売られていた。たまごかけご飯用醤油などの派生製品をはじめとし、めんつゆ、ポン酢、味噌など。いろいろあるもんだ。今まで、大規模な醤油工場の見学は体験したことがあるが、はっきり言って良く内容が理解できていなかった。機械で全ての工程が処理されており、外見上では何のことだかわからないからだ。結局、記憶として残るのは「スゲー臭いだったなあ」くらい。
その点、今回はあまり機械化されていない小規模蔵を見学できて、大変に勉強になった。醤油ができるまでを知りたい、と思うなら、大規模メーカーの工場ではなく、このような蔵で見学会を実施しているところを選ぶべきだろう。
本来なら、「10分-15分」の見学ルートなのだが、おかでん一人の見学だったことと、おかでんがあまりにあれこれ質問するために、50分を要してしまった。辛抱強く付き合って下さった醤遊王国の職人さんには感謝したい。
最後に、「たまごかけご飯」で大感激した生醤油を2つ購入し、この施設を後にした。
11時時点で続々と車が駐車場に集結しつつあった。ライダーが群れをなして来場する光景もあった。おかげで、2階の軽食コーナーは結構な繁盛っぷり。意外と人気があるんだな、この施設。
もしここを訪れるなら、おかでん同様早めの時間に訪れた方が良いと思う。この様子だと、昼頃になると満席&ご飯が炊けるまでしばらくお時間頂きます状態になるだろうから。
買って帰った「生醤油」の試食記は別記事にて記述します。
(2009.02.08)
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