テレワークの合間はやっぱりガツンと二郎系じゃなくっちゃね!と思うのは心底身体に悪いと思う

テレワーク主体の仕事に切り替わって、もう2年が経過した。自分の社会人経験はそれなりに長いけれど、それでも「2年」が持つ重みというのは結構なものだ。

ちょうど会社ではオフィスのリノベーション話が出てきているのだけど、「我々はなぜ出社するのか?」というところから議論しなくちゃいけない状況で話がなかなかまとまらない有様だ。

コロナ一発目、緊急事態宣言が出た頃は「ここぞ!」とばかりに近所の飲食店を巡っていた。ご近所のお店を支援したい、という気持ちもあったし、コロナだからこそ平日昼間のご近所ランチ(ただしテイクアウト)を体験できる興味があったからだ。

しかしそれも今やグダグダだ。子供を授かったこともあって朝晩と週末は子供に気を取られている。なので、平日のテレワークの合間の昼間は、家でダラッと柿の種でも食べてテレビを見るのが気楽でいい、という考えになってしまった。仕事がそこそこ忙しくて外出する余裕がない、というのもあるし。

しかしこれはとんでもなく不健全だ。寿命を縮めそうだ。家と保育園とスーパーの往復だけ。会話は家族と、保育士さんとだけだ。飲食店やスーパーでは「あ、袋いらないです」「支払いはカードで」程度の言葉しか発していない。

食費が少々上がってもいいから、僕の昼食は外食比率を高め、もっといろいろな体験を脳に与える必要があると思う。あと、飲食店に行くための移動が運動になるし。でないと、たぶん遠くないうちに肉体的な老化に加え、社会的孤立をすると思う。

今住んでいる家は「そこそこ都会」なものだから扱いが難しい。昔、東京23区内とはいえド住宅街に住んでいた頃は食事の選択肢が少なかった。なので悩む余地が少なかった。それが今だと、選択肢が多いので選ぶのに困る。

仕事をしながら「お昼何を食べようかな?」と考えている余裕はないので、いざお昼になってノーアイディア・柿の種になってしまう。

これがきらめくばかりの都会だとか商店街がある街なら、とりあえず家を出ればよりどりみどりだ。しかし僕んちは「そこそこ、お店がある」程度なので外出しようかどうしようか逡巡する。特に家の近所は地形の高低差があり、距離が近くても覚悟を決めないと行きづらいお店も多い。

こうなると、「せっかく家を出るなら、ガツンと五感に訴えかけるジャンクな食べものをズドンと腹に落とし込みてぇなぁ」というダークサイドな発想になる。

その結果が、写真のとおり。二郎系ラーメン。

ラーメン二郎そのものはどのお店も激混みなので、サラリーマンの昼飯には向かない。そこまで堂々とサボる勇気は僕にはないので、穴場的に空いている二郎系のお店がちょうどいい。

このお店にたどり着くまでちょこっと自転車を漕ぐ。健康?気分転換にはなるけれど、カロリーとか栄養面で考えるとこれも寿命を縮めるだろうな。

さすがに毎日食べよう!というほどの中毒にはなっていないので、たまにこういうのを食べて自らの癒やしとしている。柿の種よりはマシだ。

(2022.03.25)

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