ど・みそで味噌ラーメンを食べる

まずこの話の結論を先に書くと、「家族で外出しました。ショッピングモールで、味噌ラーメンを食べました。」というだけの話だ。それ以上でもそれ以下でもない。

だからなんなんだ?という次元の話。もしお暇ならもう少しこの話にお付き合いください。

何の変哲もない味噌ラーメンのお昼ごはん。でも、これが僕にとっては案外幸せであり、新鮮な出来事だった。

最近、外出時のお店選びは極力パートナーのいしに任せている。理由は3つある。

  • 僕自身が老いぼれたせいで、世の中に対してさほどワクワクしなくなってきた。
  • 一方、まだ若くて僕より(相対的に)人生経験が浅いいしの方が、いろんなものにワクワクする。そのいしの様子を眺めているほうが、よっぽど僕はワクワクする。
  • いしにお店選びを任せたほうが、僕が思いつかないお店を選ぶ。

コロナ以降テレワーク生活で家に閉じこもることが増えたせいもあり、僕の人生の大半は「予定の範囲内」のものになってきた。必然的にそういう環境になったせいもあるし、予定の範囲外となる事を排除していったせいで、悪い意味で居心地の良い小宇宙ができつつある。

ご飯だってそう。自分が食べたいものを食べる。それだけだ。いろいろ食べたい、見聞を広めたいと思ってはいても、「うん、その味は知ってる」「まあ・・・そんな気分じゃないかな」などとだんだん世界が狭くなってくる。じわじわ、どんどん守備範囲が狭くなっている。

そのくせ、年齢を重ねている分、いろんな料理について分かった気になっている。自分の守備範囲は広い、と勝手に勘違いしている。じゃあ最近その料理はいつ食べたんだ?と自問自答してみると、「ええと・・・10年前かな」なんて話ばっかりだ。

ジジイが昔語りをやたらするのでウザい、という話は今も昔も変わりないが、たぶん本人は昔語りをしているつもりはないんだと思う。10年くらいは「つい先日のこと」だと思っているし、20年くらい前でもなんなら「まだ色あせていない過去」だと思っている。僕がまさにそうだから。

でもそれって、相当老害っぽい香りがする。まあ、端的に言ってキモい。せめて5年以上昔のことは話すのをやめろ、と思う。人生訓みたいなのは10年前でも20年前でもいいけど、少なくとも外食の話なんて、昔話は他人が聞いてて楽しいものじゃない。

話がずれた。

そんなわけで、僕は味噌ラーメンを「うん、知ってる。昔さんざん食べたから」という扱いにしていて、「せっかく家族でショッピングモールに行っているのに、味噌ラーメンなんて食べるこたぁないよ」と思っていた。しかしいしは、「味噌ラーメンなんてなかなか食べないから、食べたい!」と嬉しそうに言う。

ああ、この感性だよな。この「食べたい!」というストレートな感情、最近の僕にはすっかり失われていた。その発想をとてもうらやましく思いながらも、提案に乗って味噌ラーメンを食べた。僕自身、「いやぁ・・・味噌ラーメンなんてねぇ・・・」と思いながら。

で、久々に食べた味噌ラーメン、とても美味しかった。夫婦ともに満足した。

僕は干支が1周り下の女性をパートナーとしたわけで、傍から見ると「若いピチピチした女性をめとってエロ羨ましい」のかもしれない。その側面は否定できないが、一番ありがたいのは、彼女と一緒に過ごすことで僕がうっかり失っていた感性が呼び戻されることだ。

欲望(特に食欲)に対して単刀直入に希望を口にし、目を輝かせ、おいしいと笑うその姿勢は僕が失ったもの、いや、そもそも持っていなかったものかもしれない。結婚して良かったと思うことはあちこちであるけれど、家族がいることで自分の五感が拡張されるということが一番の喜びかもしれない。

(2022.08.08)

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