中華料理店で考える、人生における選択と自由の制限

昔からこのお店は「安い・早い・量が多い」ことで界隈では知られている。

お昼どきになると、いつも長蛇の列ができるお店だ。

「提供までに要する時間が短い」お店なのに、長蛇の列ができるのだから、いかに繁盛しているかがわかる。

日替わりランチは、昔は700円だった。あるときから750円になって、780円になって、2022年あたりから830円になって、今回訪れたら880円になっていた。インフレ率にびっくりだ。

しかも、ご飯の盛りが少なくなった。昔は、「ご飯少なめで!」と言わないと、最初から大盛り級のご飯が提供されていたものだ。

880円であっても、今このご時世ではこの量ならば納得だ。特に高いとはいえない。むしろ、880円払って、これよりも物足りない中華料理店の方が都内では多いだろう。

ランチ700円時代というのはかれこれ10年以上昔の話だったと思う。ずいぶん古い話だけれど、そのときと比べてランチの値段は125%。一方僕の給料は125%にはなっていない。残念ながら、このランチは僕にとって昔とくらべて相対的に高級料理へとポジションが移ったことになる。

最近、僕の中で外食に対するワクワクが激減している。お金を支払ったときに感じる「財布の痛み」と僕の中での食事の満足感とが釣り合っていない、と思うからだ。

その不感症は物価上昇だけが原因ではないと思う。自分がそろそろ50歳を迎えようとしていて、老後の生活はどうなるの?という心配が財布の紐を固くするし、2歳の子どもと生活していると、子どもに関するあれこれが気になって、自分の食事に興味のリソースが割り当てられなくなった。

こういう自分の内面の変化を観察していると、「そりゃこの時代、少子化・非婚化が進むよな」と思う。僕は結婚して子どもができて満足しているけれど、一方で行動どころか心理的な自由が狭まったという実感はある。この不自由さを気にする人なら、どうしても結婚はポジティブに考えられないイベントだ。

中華料理を前に、そんなことを考えた。

(2023.02.14)

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