自分の人生で「定番」と呼べるものが増えていくのは良いことだと思う

弊息子タケが2歳の誕生日を迎えたので、夕食後にお祝いのケーキを食べる。

僕がこっそりウェディングケーキのように巨大なケーキを作り上げるという案も頭の中にはあった。でも、僕の仕事が忙しくてそれどころではなかったのと、もっとこの日に適したケーキがあったので、そのケーキにお祝いの主役の座を譲った。

お店で買ってきたケーキは、ズコットだ。写真だと、奥のお皿に盛りつけられている、分厚いケーキだ。

イタリアのケーキで、スポンジケーキの中に生クリームやフルーツがふんだんに入っていてドーム型になっている。ズコットにおいてフルーツは必須アイテムではないけれど、こうやってカットフルーツが入っていると見た目が大変に華やいで見える。

僕はいしがタケを産んだその日、産婦人科に彼女と生まれたての我が子の面会に向かうときにこのズコットを買って手土産にした。いしに「何が欲しい?」と聞いたら、「ケーキ!」と即答したからだ。

当時はCOVID-19の影響で、夫が妻の出産に立ち会うことは認められていなかった。「産まれそうなので産婦人科に行きます」と彼女が言うので深夜に車で産婦人科に連れていき、僕がその後寝て起きたら「産まれました」というLINEの通知が入っていた。そんな、男にとってはあっけない出産だった。一方で、パートナーのいしはその間これまでの人生で一番つらい時間を過ごしたはずだけど。

そんなわけで、このズコットは彼女にとって出産直後の最大のご褒美であり、一生忘れられない存在となっている。

タケの誕生日イコールいしの出産お疲れ様記念日でもあり、タケの誕生日にはズコットを食べるのがふさわしい。「昨年はズコットを食べたから、今年は別のちょっと贅沢なお菓子を食べよう」とか、「手作りでお菓子を作ろう」というサービス精神はむしろ切り捨てた方がいい。同じことを繰り返すことが、むしろ昔を思い出す良いきっかけになる。

たぶん、神社のお祭りも一緒の考え方なのだろう。毎年同じ行事を同じ様式でやり続けることで、人々の記憶を呼び覚ます。

世の中にはモノや情報が溢れている。そんな時代だからこそ、「この日はこれを食べる」「このときはこれをやる」というルーティンを設定して、愚直にそれを毎年繰り返すことが良い、と僕は考えるようになった。

ただ、そういうルーティンは意識しないと忘れてしまう。母の日は何をやった?結婚記念日は?誕生日は?

他にも、「2月になったら那珂湊に行ってあんこうを買ってこよう」とか、「7月になったら朝顔市で朝顔を買おう」といった、行事への参加も一年の行事の中に組み込んでおきたい。メディアで報じられてから、「あ、そうだ、もうそんな季節だっけ」と思い出すのでは遅い。

(2023.03.09)

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