新福菜館で抗えない、「ラーメン×チャーハン」という重力

新福菜館の真っ黒なスープのラーメンと、こんもり盛られた黒いチャーハンのセット。

今夜の夕食は、吸い込まれるような黒に魂を売ることにした。京都の老舗、新福菜館だ。

まず目の前に現れるのは、夜の闇をそのまま器に注ぎ込んだかのような、漆黒のスープだ。
初見の人間なら間違いなく「塩分の過剰摂取で即入院レベルではないか?」と警戒する。富山ブラックと呼ばれるラーメンと一緒だ。

だが、ここからが「新福菜館マジック」の始まりだ。
恐る恐る口に運ぶと、見た目の凶悪さに反して、これが驚くほどマイルドでしょっぱくない。
鶏ガラと豚骨の出汁、そして熟成された醤油の香ばしさ(すまん、これは思いつきで適当に書いてる。何のダシなのか全然わからん)が、喉の奥へとスッと優しく通っていく。

その「意外な優しさ」が、かえって僕の理性を狂わせる。
一口飲めば「おっと、これは」となり、二口飲めば「なかなかどうして」とレンゲが加速する。
このスープを啜る行為は、もはや不可避の「仕様」だ。

しかし、本番はここからだ。
隣に鎮座する、これまたスープと同じ黒を纏ったチャーハンに目を向ける。
米の一粒一粒が、あの漆黒の旨味をこれでもかと吸い込み、鈍い光を放っている。

これを口に運び、すかさずラーメンのスープを追いかける。この往復運動こそが、現代社会が生み出した最も効率的で、かつ最も不道徳な快楽のひとつだと思う。
ダブルの炭水化物、逃げ場のない醤油の波。なんて心地良いんだ。

「今日はラーメンだけで済ませて、自分を律しよう」
「いや、チャーハン単品というストイックな選択肢もあるはずだ」

券売機の前で数秒、そんな思案を毎回する。でも結局はラーメンチャーハンのセットのボタンを押している。
どちらか片方だけなんて、そんな器用な生き方は僕にはできない。

食べ終わって店を出て、冷たい夜風に当たりながら「やっぱり片方だけで十分だったんだよなあ」と独り言を漏らすのが、いつものルーティンだ。

だが、この「やってしまった」という微かな後悔と、それを上回る圧倒的な満腹感こそが、明日を生きる活力になるのだから皮肉なものだ。
真っ黒なスープで胃を染め上げ、幸せな敗北感と共に夜道を歩く。

(2025.12.25)

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