4歳児、大晦日の蕎麦打ちに挑む。不揃いな麺と濃密な出汁で締める2025年

2025年大晦日。いつもなら実家に帰省している僕らだが、今年は事情が違う。

第二子の出産予定日が目前に迫り、東京の自宅で「籠城」を決め込むことになったのだ。

自宅で正月を迎えるのは、コロナ禍の2020年以来、実に5年ぶりだ。

当時はまだDINKSで、新婚気分も相まって「おせち全品手作りだ!」とウキウキで暴走していた。

今振り返ると、あれは一種の躁状態だったのではないかと自分を疑いたくなる。

2025年の疲弊した僕からすれば、当時の自分は正気の沙汰とは思えない。

そんな僕の再来を恐れたのか、妻のいしは10月の時点で「贅沢しちゃった!」と通販のおせちを速攻で発注していた。

僕がまた台所で神経を擦り減らす前に先手を打つ。彼女なりの、極めて合理的な善意なのだろう。

しかし、だ。蕎麦だけは、この身を削ってでも打たねばなるまい。

2001年から打ち始めて、はや四半世紀。

これまで姪たちを鍛え上げ、昨年からは我が息子への伝承も始まった。

おかでん家の歴史と伝統、そして僕のアイデンティティを、ここで絶やすわけにはいかないのだ。

中華鍋で厚削り節と昆布から出汁を取る様子。背景には秋山商店の節と利尻昆布の袋。

出汁の準備に取り掛かる。

正直、今年は粉末だしで済ませようかと思うほど気合が空転していた。

仕事納め直前までの激務で、深夜勤務のダメージが体に溜まっている。

そこへ、実家から「蕎麦を打つなら」と救援物資が届いた。毎年、実家が親戚筋から暮れのご挨拶としてもらっている出汁だ。樹皮をベリベリと剥いだかのような厚削り、そして立派な礼文島の昆布。

値段は知らないのだが、きっと高級品だ。そんなものを恐る恐る使うのではなく、バーンと中華鍋でグラグラ煮る。雑味が出る?そんなものは知ったこっちゃない。目指すは「下品なまでにくどい、立ち食い蕎麦屋のつゆ」である。

中華鍋の表面に染み込んだ12年分の油分や成分がどう影響するかなど知らぬ。

むしろ「鉄分が摂取できる!出産前には最適だ!」と強弁しておこう。

そういえば先日、いしに頼まれて産婦人科まで鉄剤を取りに行った。

「男が一人で産婦人科に入っていいのか?」「委任状は必要か?」と挙動不審になりながらも、母子手帳とマイナンバーカードを握りしめてミッションを完遂した。

あの時の居心地の悪さに比べれば、中華鍋から出る鉄分など微々たるものだ。

テーブルに置かれた信州二八そば粉、ステンレスボウル、木製の麺棒。

さて、蕎麦打ちの開始だ。

東京の自宅には専用の道具など一つもない。

主役は、弊息子タケ(4歳)。本人はやる気満々で、頭にバンダナを巻いてもらってご機嫌だ。

粉は高山製粉の「信州二八そば粉」。

そば粉のパッケージから打粉の小袋を取り出す様子。

自分の技術不足を棚に上げ、お財布事情に合わせて選べるラインナップは本当にありがたい。

もし味がいまいちな蕎麦を打ってしまった場合、「おかしいな、もう1ランク上の蕎麦粉を買っておけばよかったかな」などと値段のせいにできる。

バンダナを巻いた子供がボウルの中でそば粉と水を混ぜる水回しの工程。

タケによる「水回し」がスタート。

「砂遊びとは違うんだぞ。指先で粉と会話しろ」と無理難題をふっかけてみる。

姪たちを相手にしていた頃は優しき叔父だった僕も、我が子となると話は別だ。

「言った通りにやれ!」と、つい指導に熱が入ってしまう。

子供が麺棒を使ってそば生地を薄く伸ばす延しの工程。

続いて「延し」。

身長110センチの彼にとって、ダイニングテーブルは高すぎる場所だ。

腹筋を鍛えるアブローラーのごときフォームで挑むが、体重が軽すぎて棒が空転している。

椅子に立ち、身を乗り出して一生懸命に生地を伸ばす子供の後ろ姿。

椅子の上からのし棒を動かしていたが、アブローラー効果で腹筋が鍛えられすぎて限界がきたようだ。椅子からおり、つま先立ちになりながら生地を伸ばす有り様。

子供が駒板と包丁を使ってそばを切る工程。

いよいよ「切り」の工程へ。

ここで致命的な欠陥が発覚。駒板がない。

本棚においてある子供用の図鑑で代用しようとして却下され、最終的に「お菓子の缶のフタ」を使うことにした。

さらに包丁は、刃先が反り返った普通の三徳包丁。麺をズバッと断ち切ることなど不可能だ。

もはや「切り」ではなく、鉛筆と物差しで線を引くような作業になった。

タケが持っている包丁を、僕が後ろから完全にコントロールする「傀儡スタイル」でなんとか進める。

写真では一人で包丁を持っているが、これはあくまでも記念撮影用だ。「いいか?絶対動くなよ?動くと怪我するぞ?」と言いながら撮影したものだ。

切り終えた不揃いなそばを木製の盆に載せて披露する子供。

出来上がり。蕎麦は不揃いであり、ぜんぶ太い。

ええと、ぱっと見てどれくらいの茹で時間にすればいいのか、全然検討がつかない。どこかの太さを基準に茹でると、別のところがグズグズに煮崩れたり、生煮えだったりする。

でも、それがいい。親子の二人羽織状態で作った蕎麦だ。クオリティなんて二の次だ。作った!ということが楽しいし、弊息子タケの喜びにつながればそれでいい。

コンロの上で肉南蛮のつゆを煮込み、隣の中華鍋でそばを茹でる様子。

仕上げは再び中華鍋の出番だ。

さっきまでだしを作っていた中華鍋だが、今日は出番が豊富。今度は大量のお湯をグラグラと沸かし、蕎麦を茹でる。

完成した肉南蛮そばと、ノンアルコールビールの缶。

完成。豚南蛮。

麺はブチブチと切れる。

だが、親子で格闘した証がそこにはあった。

僕は、子供に対して純粋な愛情よりも、どこか打算的な視点を持ってしまう性格だ。

「3歳から蕎麦を打っている」という実績を彼の体に刻み込み、将来の「ネタ」としてブランド化する。その作戦の2年目としては、上出来な滑り出しではないか。

さて、来年は第二子も加わり、さらに混沌とした年越しになるだろう。

とりあえず今は、アサヒのドライゼロで、この激動の一年を飲み干すことにしよう。

良いお年を!

(2025.12.31)

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