中村一美展@国立新美術館

国立新美術館

例のごとく内容を全く知らないまま会場内に突撃して絶句。

なんだこりゃ。

中村一美展

巨大なカンバスに、意味不明な色がぐちゃー。 抽象画、というか、もう「適当にペンキぶちまけました」としか言いようがない。

こういうのは僕は嫌いだ。意味不明なものを意味ありげに、あれこれ理由をこねくり回す。 そのチマチマした作品コンセプトを十分理解しなけりゃ楽しめないし、理解したって楽しめない場合が多い。選民思考というか、「俺の知性におまえら付いてこれるか?」みたいな傲慢な印象を受ける。

・・・と、最初はボロカスに考えていたのだが、この展示会場は結構広い。かなりの拷問だ。 意味不明な絵、というか模様を延々と見せられていると、今どこにいるのかがわからなくなってくる。

中村一美展

国立新美術館だというのに、客足はまばらで殆どいない。 時々、気になる絵があったからか、順路を逆走してくる客がいるのだが、そのせいもあって自分がちゃんと前に進んでいるのかどうかさえわからなくなってきた。

どの絵もカンバスの大きさはほぼ同じ。そして、意味不明。だから、会場内で迷子になったような感じになった。

そんな状況下で、ひたすら作品を見て、考え込む。 意味不明な、いわば「適当にペンキぶちまけただけじゃない?」という作品だけど、こうして評価されて個展が開かれている。 これはこれでやっぱりすごい作品なんじゃないか、と。理解できない僕が無知なだけじゃないか?と。

そういう発想は、権威主義におもねる感じでやっちゃいけない、と思いつつも、当初の全否定的スタンスを見直しはじめた。 何十枚も色とこってりと塗られた絵の具の立体感の洪水にさらされ続け、だんだんこの作家のおもしろさがわかってきた。

ああ、これは案外いいぞ、と。

一枚見ただけじゃ、本当に単なる意味不明な絵だ。しかしこれを何十枚も見続けていると、だんだん頭が慣れてくるというか、作品を脳が受け止められるように変わってくる。

案外、いや、結構、こういう絵は面白い。

よくよく見ると、絶妙な色の配置だったりするじゃないか。これは確かにプロの技っぽい。

大胆に塗られた絵の具は立体的にカンバスに浮き上がっている。 そういったものが、視界いっぱいに広がる。 これは、こういう展覧会じゃなければ体験できない。 しかも、この巨大な絵を実寸大で、数多く楽しめるというのは、東京が持つ懐の深さだ。 地方都市では、こういう展覧会はまず無理だろう。見たがる人がいないだろうから。

僕は思った。 フェルメールとかの名画も実物で見りゃそりゃ素敵だ。でも、極端な話、本で見たって良さは十分に伝わる。

しかし、今回のような作品は、本で見たってさっぱり伝わらない。だからこそ、こういう展覧会に訪れる価値ってあるんだなと。

はっきりいって一般受けしないだろう。僕自身、こんな絵がいいとは相変わらず思わない。いいとは思わないけど、見たい!そんな絵。

そんな絵が展覧会形式で見られるのは、幸せなことだ。

(2014.05.06)



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