近代倉敷の礎を作った地元の偉人、大原孫三郎の別邸「有隣荘」は、年に二回公開されている。
緑色の瓦を使った、特色ある家なので「緑御殿」と呼ばれているが、春と秋以外は中をうかがうことは出来ない。
現在は大原美術館に寄贈され、個人宅としては使われていない。
大原孫三郎がいかに偉人であったかは、書籍などを読めば顕著にわかる。 倉敷にとどまらず、大阪なり東京なりに出ていれば歴史の教科書に名を残した人であった筈だが、そうしなかったことが逆にこの人の名声を高めたとも言えるのだろう。
有隣荘のすぐ隣が、大原さんの家だ。重要文化財に指定されている。そんな家のすぐ隣に別邸を作ったのは、病弱だった孫三郎の妻のためだと言われている。 そのためか、ゆったりとした廊下、階段、部屋の間取りとなっていて、奇麗な庭の眺めも相まってくつろげる空間になっている。
倉敷の古民家の、狭くて急な階段という作りとは全く別ものだ。
満谷国四郎という作家は、あまり知名度がある人ではない。倉敷の隣、総社出身の西洋画家で、大原孫三郎の助成を受けてヨーロッパに絵を学びに行った人の一人だ。
同時期、孫三郎の支援を受けてヨーロッパに行っていた児島虎次郎については、「大原美術館の絵を買い付けてきた人」として知名度があるが、この満谷という人は今回初めて知った。
正直、絵は「古くさい油絵」という印象で興味がわかなかったが、有隣荘そのものがすばらしかったので大満足の見学だった。 棟方志功が有隣荘のために描いた屏風絵「御群鯉図」はこの日は展示されていなかった。
(2014.10.12)
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