岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ@世田谷文学館

世田谷文学館

最近はさすがに自制して、昔のような狂ったかのようなアート巡りはやめている。

「未知の世界」の飽くなき探求を続けると、身も心もボロボロになるとわかったからだ。ある程度、現状肯定して今の自分に満足しておく必要がある。

メンタルの状態が悪いときに作品を見ると、気分が滅入ったり気力が奪われたりする。

でも時々、相変わらず見たことも聞いたこともないような人の展覧会に紛れ込んでしまい、困惑することがある。

それが今回。

岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ

岡崎京子は、80年代から90年代にかけて活躍した女流漫画家。内田春菊などと同じ時代を駆け抜けた人だ。

1996年に交通事故に遭って以来作品を世に出していないが、20年近くたった今こうやって個展が開かれるくらい、インパクトのある作家さんだったということだ。

僕は名前すら聞いたことなかったけど。

この人の作品で、「ヘルター・スケルター」というのがあると知り、ようやく「ああ!沢尻エリカが主演した映画の原作か!」とわかった程度。

でもその映画だって見ちゃいない。

展示室の冒頭、岡崎京子が描く「女性漫画家ならではの人物デッサン」に、男の僕は違和感を感じた。見慣れないからだ。

男性漫画と女性漫画は、文法も違えば表現方法も違う。

うわあ、こういうのは僕の性にあわないなあ、でも、「うんうん、こういうのも味だよね」とわかった振りをしなくちゃいけないのかなあ、いやだなあ・・・というのが最初の印象。

しかし、見て行くうちに、どんどん面白くなってきた。岡崎風の絵に目とあたまが馴染んで来たというのもあるけど、彼女が描く絵の構図や、人物描写が心地良かったからだ。

セリフも、面白い。

何よりも感心したのが、漫画の原画が額装されたりアクリル板に挟まれて壁に掛けられているのだが、アートとして十分に通用するということだ。 十分すぎるモダンアートだった。

色つきのものなんか、特にそう。何だろう、普通の漫画っぽいのに。

それを見て思った。クールジャパンとかジャパニメーションとか言ってるけど、本当に日常的な漫画にだって芸術性はとてもあるぜ、と。

娯楽だけじゃない。 大げさな構図だったり、俯瞰したり見上げたりといったアングルは浮世絵から脈々とつながる日本のお家芸。ルネサンスがうんたら、といった西洋芸術とはちょっと違う世界観だ。

これ、もっとうまいことどうにかならんかなあ。 僕はアート性の高い、額装してサマになる漫画家ってのは少ないと思っていたけど、今回この絵を見てみて考えが変わった。案外いっぱいいるのだろう。それが、アートとしての評価を受けないまま埋もれているのが、惜しい。

(2015.03.29)

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