ミニスカートとニーソックスの間の「絶対領域」や、水中の水着女性といったフェチズムを追求した写真展。
浅草橋駅から10分近く歩いたところにある場所だけど、ギャラリー前の階段に入場待ち行列ができるほどの人気ぶりだった。
エロと女体の美しさの境目、といった感じ。中学時代の僕なら、ここに展示されている写真一枚で十分ご馳走様だ。
もちろん、僕はエロ目当てでここを訪れたのではなく、「美」とか「欲望」というのがどこから起因しているのかというのを体感したかったからだ。
実際、並べられた写真を見て大いに楽しめた。
「これはちょっと狙いすぎのアングルだな」 「これはすごい。普通なのに普通じゃない」 などと同伴者(女性)とやいやい議論をした。
美術館で、ご高名な方の高貴な作品を見ても「へえー、きれいですねえ」と仏頂面でコメントするのがやっとだ。なんか美術館に訪れている俺、ドヤ!みたいな感じも極僅かながら感じて、自分自身が嫌だ。「この作家は誰それの影響を受けてネ」なんて語りだすと、とにかくうざい。
それがどうだ、この女性たちの写真を前にすると、語らずにはおれない。感じずにはおれない。他人行儀ではない、「俺自身がどう、何を感じたか」という一人称がクローズアップされてくる。やっぱり女性というのは、男性にとって本能的な、永遠のテーマだからだろう。
こんなに真剣に作品を凝視したのは、過去数百のアートギャラリーめぐりをしてきた中でも初の経験だ。
女性の同伴者も、僕も、等しく「これはすごい」と言わしめたのが、泳ぐ女の子を水中撮影したものだった。胸をはじめとした身体のパーツが、無重力状態でふわっとしているシルエットは、見たことがありそうでないものだった。水中カメラによる撮影なので、現実か幻か、曖昧な感じになっているのが特に印象的だった。
露骨にエロいのはこってりしすぎだし、「芸術的な女体」とかそういうのも「ふーん」って感じだし。バランスってのは難しいものだな。
ひょっとしたら、グラドルの写真集なんてのはこういう世界がずっと展開されているのかもしれないけど、普段そんなものを全く見ないのでよくわからない。
いずれにせよ、身近に感じる美とか性癖、というのを感じさせてくれたこの展示はすばらしかった。
(2015.05.04)
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