第346回企画展 『ライゾマティクス グラフィックデザインの死角』@ギンザ・グラフィック・ギャラリー

数日前に訪れたばかりだけど、近くに立ち寄ったついでに友達数人と一緒に再訪。

その道すがら、村上隆の「マイ・ロンサム・カウボーイ」というフィギュアが16億円のオークション価格がついたんだよ、といった現代アートに関する話をしたのだけど、やっぱり全員「はぁ・・・?」という雰囲気。

もともと美術鑑賞という趣味は人を選ぶものだが(そういう扱いにしてしまった文化人の罪は大きい)、現代アートってなおさらだ。 現代アートの印象を聞くと、みな一様に「意味不明で、難解で、面白くないもの」という事を言う。それが現実。

音楽の世界でも、20世紀に入ってからは「聞いて楽しい」音楽ではなく大衆受けしない、マニアックで難解なものが流行った時代があった。 なんだか、現代アートもそれと一緒の理解がされている。 音楽の方がよりポップカルチャーとして、難解かつ学術的な音楽は存在するものの、「売れている音楽」はわかりやすく、今風の楽しいものだ。

でもアートはどうだろう?結局まだ、怪しい世界、という印象から脱却できていない。

多分多くの人は、「現代アート」なるものは見たことがあるのだろう。で、その作品は、落書きみたいなものだったり、ゴミみたいなものだったりする。そしてその作品の脇には、社会の空虚さが、とか難解な解説が書いてあったりする。 そんなのを見て面倒臭い、イヤな気持ちを感じてしまったら、その後は特に用が無い限りはもう現代アートはノーサンキューだ。

でも、日本ではアニメとか漫画というすばらしい「現代アート」が巷にあふれている。あれは「ポップカルチャー」であり「アートではない」と思われているけど、ああいうところから、今一度「表現することのすばらしさ、今この瞬間を切り取ったアートの面白さ」ってのを発掘していく義務が業界にはあると思う。

数百年前の作家の掛け軸とか陶器は普遍的にすばらしいものだとは思うが、そこで立ち止まっていたら今この瞬間の表現者がどんどん息絶えてしまう。 既に死んだ人の作品に何億円値が付こうが、それはコレクターが儲かるだけの話だ。作家そのものが儲かるわけではない。 現代アートは、今まだ存命の人が、作品を制作することで評価され儲かる。それがもっと盛んになって欲しいものだ。

で、話を戻すとライゾマティクスの作品なんだが、二度目となる訪問でもやっぱり意味不明だわ。 何人かで、「これはどういうことだろうね?」と議論する楽しさがあって、前回以上に面白かったんだが、グループで訪れた分だけ、「わざわざ僕がこの場に連れてきた意味」ってのが説明しづらかった。

一人で訪れた時は、「ワオ!クール!」と喜んでたんだけどね。二人以上になると、会話が発生する分、感情ではなくもう少し論理めいたものが必要になってくる。それがやっぱり、この作品群では難しかった。 僕が感じた作品のクールさを仲間に伝えきれなかったなあ、というのが僕自身の力不足さを感じさせ、悔しかった一日。

ちなみに、村上隆の弟子でもあるMr.なんて、普通に見れば「下世話なロリコン絵」の作品を得意とするわけだが、それでも数千万円の値付けがされる。 アニメ/漫画好きからは「この程度のレベルの萌え絵で一人儲けやがって」とむしろ批判されているようだ。 でも、自分たちが愛している世界が、そうやって「高い金を払ってでも評価する」という人がいる、ということは誇りに思っていいと思う。

なお、僕はMr.や村上隆の作品はポストカードやベッドサイドの額縁に入れるコピーものなら欲しいと思うが、原画を数千万円クラスで買おうとは思わない。まあ、そういうもんだ。

(2015.06.20)

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