椋陽児展「春琴抄」@ヴァニラ画廊

女性を縄で緊縛した絵を描く作家、椋陽児の個展。

僕はこの人の名前も作品も知らないのだけど、倒錯した世界観というのを見てみたくて訪れた。

ヴァニラ画廊は、本当にこういうサブカルやアウトサイダーなアートの個展が得意だ。いったいどういうツテがあるんだろう?

僕には、変態趣味に対する憧れ、というのがある。それは、自分が案外凡人であったことに対する落胆からきている。 若い頃は、もっと自分が変態だと思っていたのに、いざオッサンになってみると至って平凡な、どこにでもいる趣味思考の小市民であることに気づかされた。

ああ、自分ってなんてつまらないんだ・・・と絶望したりもした。

その対極にあるのが、にわかには理解しづらい変態趣味の世界だ。 もちろん、自分が本当に変態になりたいのか?というとそうではない。「変態的発想を持ちえない自分」に対する悔しさの裏返しとして、憧れの存在。だから、本心としてはやっぱり変態にはなりたくないのだろう。

作品は、全て鉛筆による手書き。まるで写真をトレースしたかのような精巧な絵。いずれも、女性が全裸で縄に縛られているものだ。エロいか・・・というと、全くエロいとは思わなかった。写実的なのに。おそらく、自分の日常生活では想像すらできない世界なので、リアルさを感じ取れないのだろう。

縛られている女性の表情や絵の構図から、この絵が何を言いたいのか読み取ろうと必死になった。これは、女性を虐げたいのだろうか?精神的に屈服させたいのだろうか?犯罪性があるのだろうか、それともないのか?

ほぼ全ての絵において、描かれている女性はあまり表情がなかった。屈辱に歯を食いしばっているでもなく、絶望している風でもない。これは、男女双方同意のもと、「縄で縛る」というプレイをしているだけなのだろうか?? 縄で縛ることを許してくれる女性に対して愛おしく思う男性・・・そういう構図があるのだろうか?と考えてしまった。

少なくとも、僕が住む世界ではそういうシチュエーションしかありえない。

でも、きっとそんな甘っちょろい「プレイ」ではないんだろうな。緊縛ものというのは変態的でもあり、芸術的でもある。ダークな背景が絶対にあるはずだ。

そういえば、作品の多くは、女性が畳の部屋にいる構図になっている。縛られて畳に転がされていたり、柱につるされていたり。縛る、というのはどうも和テイストなものらしい。

確かに、この近代化・西洋化されたご時勢、女性を拘束するのであればわざわざ荒縄で全身をグルグル巻きにする必然性はない。手錠ひとつでかなり行動は制約できる。・・・しかし、「手錠」ではダメなんだろうな。手錠はエロスではないし、手錠では妄想が膨らみにくい。

それにしても本当にいろいろな構図があるものだ、と作品を眺めていて感嘆させられる。なるほど、一部の好事家が好むわけだ。片足だけ吊られて持ち上がっていたり、柱に縛り付けられていたり、両足を大きく開いていたり。縄の縛り方ひとつとってもすごいなあ、と思う。絶妙なところにコブを作ってるな!と唸らされたり。

作品はそのまま売られていたが、値段はだいたい8万円~10万円。精巧に作られた一点ものだから、決して高くはないと思う。が、さすがにこれは家には飾れない。日々鑑賞するにはインパクトが強すぎる。しかし、ぼちぼち売約済みになっており、買う人は買うようだ。

絵は非常にうまいので、良い作品だとは思うのだけど、さすがにちょっとこのテーマでは。

会場中央に、この作家が描いた漫画作品も原本が展示されてあった。かなり昔のもののようだ。 見ると、うら若き女子大生が、悪い男に騙され、閉じ込められ、縛られ、言いなりにされる・・・という内容でかなり胸くそが悪くなるものだった。

ああ、やっぱり縛るってそういう文脈なんだな。「男女間の信頼と愛情が」云々、考えすぎだったか。

(2017.03.29)

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