死体がたくさん写り込んでいるぞ、おい。
報道写真なので、暗殺とか虐殺とか、そういうのがいっぱい。あんまりハッピーな写真は少ない。
ハッピーというのは報道価値が「不幸」より一段下なのだろうか、ニュースになりにくいのだろうか、と考えさせられてしまう。
地球の裏側の不幸に対して心を痛めたりお悔やみ申し上げたりすることって、本当に必要なのか?と常々思っている。グローバル化された現在において、遠い国の出来事だからといって人ごとではないのは理解している。いずれは日本にだって、自分にだって跳ね返ってくるかもしれない。
でも、釈然としない。 克明に撮影された「不幸を激写した写真」を見るにつけ、つくづくそう思う。こんなの、「知らなくても良かった不幸」なんじゃないか?と。 よその国のことよりも自分の国のことを、自分の国のことよりも自分の周囲の仲間達のことを。当たり前の筈のことが当たり前でなくなっている気がする。
自分たちがまず幸せにならないと、周囲も幸せにならないんじゃないだろうか。 トランプ大統領やEU諸国の極右政党の考えに近いようで誤解されそうだが、今書いたことって、大事なことだと思う。
それはともかく、写真は圧巻。なんだこのバキッとした、ピントも色彩も構図もきまりまくった写真は?そして訴えているテーマの強さは?と一歩腰が引けてしまうレベル。さすが世界全体で選りすぐられた報道カメラマンの作品だけある。どうしてこういう色が出せるのか、どうしてこういう「ちょっとした瞬間」を撮影できるのか、とか不思議でならない。
プロ、というのをこれでもかと感じさせる写真展。
(2017.06.10)
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