ポーラ ミュージアム アネックス :オルビス30周年記念 ケの美展

ケの美展

「ハレとケ」という概念は、柳田国男が提唱して以来すっかり日本のメンタリティを表す中心的な表現になっている。

ケの美展

芸術の世界では、「ハレ」の世界を表現したものが多い一方、日常生活の一角にだって「あれ?ふと見ると、これっていいかも?」というものがある。

みうらじゅん的発想とでもいおうか。

そういうのを、いろいろなクリエイター達が「自分が感じるケの美」として紹介する、という展覧会。

ディレクター、佐藤卓。

ケの美展

「こういう内容だと、小山薫堂あたりが出てきてもおかしくないな」と漠然と思っていたら、案の定小山薫堂の展示があって笑ってしまった。

ケの美展

ほかにも、建築家の隈研吾や、料理研究家の土井善晴など、さまざまなジャンルから人が参集されている。

展示しているのは、やかんとか、床とか、歯ブラシとか、展覧会タイトル通り非常に素っ気ないものばかり。しかし、展示のしかたがうまいし、本人による解説文を読むと、「なるほど、確かに味わい深い。」としみじみと見てしまう。

ケの美展

こういうのは、良くも悪くも広告宣伝テクニックと同じだ。そこら辺にいるオッサンに、「家にある何か適当なものを持ってきてください」とお願いして展示したって、なんのありがたみもない。しかし、文章が書け、洞察力がある人が「自分が考えるケ」について語りながら、素っ気ないものを紹介すると、俄然光り輝いてくる。

この展覧会を、「だまされないぞ!?」と身構えて見る必要はない。展示されているものが本当に素朴で美しかったからだ。 千宗屋(武者小路千家家元後嗣)が展示したのは、茶せん1つのみ。しかし、それがまた実に味わい深い。ふわっと開いた茶せんの一本一本が、地味な迫力を持っている。曲線の美しさに気づかされる。

そういえば自分を振り返ってみると、直線的なもの、またはきっちりとデザインされたものばかりに囲まれて暮らしている。微妙にゆがんだもの、というものは、案外なかったりする。せいぜい、だらんと垂れた電源ケーブルくらいか。 ああ、こういう工業的ではないものっていいよな、と感じた。

でも、すでに21世紀の世の中では、「直線的ではないもの」が「ケ」ではなく、「ハレ」的な存在になりつつあるのかもしれない。実際、千宗屋も、「昔のお茶というのはケのものだったけど、今やハレのものになってしまっている」と論じていた。

(2017.12.01)

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