刈谷博展「ひとつの/そして/無数に遍在する/それ」@ミヅマアートギャラリー

難解な展示が来たぞー!

本当に意味不明な作品なら「ふーん、自分にはわからない世界があるんだ」と、ざっと見て終わりになる。大して記憶にも残らない。しかしこの刈谷博の作品は、視界に訴えかけるものがあり、目が離せないけどやっぱり意味不明だ。

こういう「わかりそうで、わからない」世界というのが一番喉にひっかかって、モヤモヤさせられる。 でも、だからこそ面白いのだろう。

毎日一握りの豆粒を「The now is」という言葉を書き込んで、それを白いパネルに接着剤で貼り付ける、という作品群。 日によって豆の配列は全く違い、そのときの気分や感じたことに基づいているのだと思う。でも、いずれにせよ白いパネル、白い豆、そしてそこに梵字か呪術の言葉のように細かく書かれた黒い文字。透明の接着剤のせいもあって、なんだかカエルの卵を見ているようで気持ち悪さがある。 そういうのが何十枚、大小様々並べられているので、インパクトたるや相当なものだ。

足かけ25年にも及ぶ作品群なので、気迫が伝わってくる。

音声ナレーションで、作者本人による解説が流れている。「isがあるからこそnowが・・・」みたいなことをずっと語っているのが、よりディープ感を醸し出している。 写経的な意味合いがあるとのことで、その言いたいことはわかるんだが、これは一体なんなんだ?

個人的趣味としてではなく、商業的な意味というのが僕にはわからない。家に飾るにしては気持ち悪いし、理解の範疇を超越している。 しかし、もちろん商売としてやっているミヅマアートギャラリーで展示しているからには、この作品も商業的意味が立派にある、ということなのだろう。ましてや、個展が開催されるということは、ギャラリーとしてもこれでメシを食っていこう、という腹をくくっているわけだし。

こういうのを理解できない、というのは「私は馬鹿です」と宣言しているのに等しいけど、わかってもいないのに「素晴らしい!」と言うのはもっと馬鹿なので、「理解できませんでした」と書いておく。

とはいえ、理解できないなりにとても興味深く、案外じっくり鑑賞してしまったのは事実だ。いずれは、こういうのが好きになるのかもしれない。

(2018.02.09)

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