かこさとしのひみつ展-だるまちゃんとさがしにいこう-@川崎市民ミュージアム

2018年にお亡くなりになった、絵本作家かこさとし氏の回顧展。といっても、この展覧会自体は存命中に企画され、検討されてきたものなのだそうだ。

タワーマンションが林立する武蔵小杉駅前からバスに乗って10分ほど。自宅からはかなり遠い。しかし、わざわざそんな遠方にも関わらず訪れたのは、かこさとしの絵本でおなじみの「だるまちゃん」に会いたかったからだ。

数ヶ月前まではかこさとしという名前も、だるまちゃんという絵本のキャラクターも知らなかった。いや、正確に言うと「覚えていなかった」。しかし、たまたま立ち寄った本屋の店頭に置いてあった「だるまちゃんとてんぐちゃん」の絵本を、何の気なしに手にとって、「あっ!この絵本、見たことがある!」と衝撃を受けたのだった。そこで記憶が繋がった。まさに、40年間眠っていた記憶だ。

これと同じ体験を「そらいろのたね」でも体験したことがあるが、この絵本の存在自体はうっすらと覚えてはいた。絵やストーリーは殆ど忘れていたけど。しかし今回は、まったく記憶がなくなっている状態からの復活だったので、誇張表現でもなんでもなく、「衝撃」だった。

改めてこの絵本を見ると、なんとも幸せな内容だった。みんな楽しく、ニコニコしている。こんな屈託のない、楽しい話を読んだのは久しぶりだ。逆に言うと、これまでどれだけ荒んでいたんだ自分の生活は?と思う。

幼少期の僕がどれだけこの本を読み込んだのか、そこまでは記憶がよみがえらない。しかし、たぶんずいぶん読んだのだと思う。1枚の絵の中にはたくさんの小さな物が描きこまれ、それを楽しんだに違いない。

細かい絵の中には、ストーリーの本筋とは関係のない書き込みもある。だるまちゃんの妹(と思われる)が画面の隅っこでおままごとをして遊んでいる(と思われる)絵とか。こういう細かさが、何度でも読み返して楽しめる「厚み」を形成している。

この日、もう一度「衝撃」があった。「だるまちゃんとかみなりちゃん」という続編が展示で紹介されていたのだけど、絵本の表紙絵を見ても全然心当たりがなかった。たぶん、読んだことがないのだろう、と思っていた。しかし、かみなりちゃんの持ち物である「鬼の形をした浮き輪」を見た瞬間、「あっ!これも見たことがある!!」と思い出したのだった。ストーリーまでは全然思い出せなかったのだけど。

単に「昔、この絵本は見た!」という事実を思い出しただけだ。しかし、40年ぶりに神経回路が繋がった瞬間の快感は、相当なものだ。

たぶん、この「記憶がよみがえる」ことを快感と感じている、ということは、きっと僕は幸せな幼少期を送ったのだと思う。そういう良い記憶とセットになっているのだろう。それがわかっただけでも、何か嬉しかった。

洗面所かどこかに、だるまちゃんの絵を飾りたいと思ってミュージアムショップを訪れてみた。しかし、ポスター絵はなかったし、絵はがきは売っていたものの、何枚ものセットになっているものだった。結局何も買わなかったけど、もし本当に絵を飾りたくなったら、絵本を本屋で買ってこようと思う。

(2018.08.19)

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