佐藤可士和展@国立新美術館

佐藤可士和展

日本を代表するデザイナー、佐藤可士和とそのデザイン事務所「サムライ」が手掛けたクリエイティブデザインの展覧会が国立新美術館で開催されているので、行ってきた。

国立新美術館は、新進の若手作家にフォーカスを当てた展覧会を毎年開催したり、特定個人や特定ジャンルに固定されない、もっと抽象的な概念をテーマとした企画展を催したり、キュレーションが意欲的で面白い。

教科書的な、中世の西洋美術をありがたがっている世界とは違う。「今」を切り取り、躍動する世界観を国立の美術館が積極的に紹介していくというのは、文化の厚みをもたらすとても良いことだと思う。

こういう展覧会を見るにつけ、東京に住んでいてよかったと思う。

オンラインショッピングやショッピングモールが発達し、地方に移住しても東京に近い生活が送れるようになってきた。しかし、決定的に違うのが「文化・芸術」だと思う。多様性と躍動感を伴うゾクゾクさせられる体験は、日本では東京以外難しいと思う。

地方移住をした人が「自然が豊富だし、週末は車であちこち行けるし、のんびり過ごしてます」と幸せそうに語るのをよく目にする。東京はまさにその逆。ありえないくらい高い家賃を払って東京に住んでいるならば、「自然」のかわりに人工物の象徴である「芸術」を満喫したい。

むしろ、芸術を胃もたれするくらい体感しないと、家賃を払い損だと思う。コロナ時代でテレワーク主体の仕事になった今だから、なおさら。

地方だって、公立・私設の美術館はいろいろあるし、文化事業もそれなりにあるだろう。しかし、「なんだこれは?」と首をひねるような意味不明な前衛芸術や、金があってこそ成り立つ大規模な展示は難しい。東京という、首都圏人口3,000万人超の巨大都市ならではできることがある。

こういうことをグダグダと言っているのは、コロナ下においても都心に住み続ける、ということを決意したからだ。東京から30分以上離れた隣県に移住することも検討し、夫婦で悩んだ時期もあったけど、結局都心に住むことに決めた。高額の住宅ローンを抱きしめて生活する以上、せめて「元を取らないと」という気持ちになる。その「元をとる」というのは、まさに多種多様な美術に容易にアクセスできること、ということにある。

美術鑑賞を趣味にする人というのは、純粋に美術が好きな人、「美術が好き・美術について詳しいことによって優越感に浸りたい」人、美術に疎い人相手にマウントしたい人、投資対象の人、いろいろいるだろう。そして僕の場合、「都心に住む不安を緩和するための抗不安薬」としての美術だ。新手のパターンだと思う。

また、いずれ生まれてくる僕の子供についても、浴びるように美術を見せたいと思っている。子供が美術を楽しめるとは思えないけれど、僕がしてやれる最大の教育が、美術鑑賞だと思っている。

佐藤可士和展

そういうよこしまなスタンスを秘めながらの、佐藤可士和展。

広告や有名企業のロゴをデザインしているので、見慣れたものばかりだ。だから、「ああ、あれも?これも!」という驚きを感じながら、会場を見て回る。

作品はいずれもダイナミックで、戸惑いのない踏ん切りの良さが特徴的だ。色使いも、同じデザインの反復も、余白の使い方も。ガツンとわかりやすい。

そして、テレビ視聴時間が減り、ましてやCMなんて早送りですっ飛ばすのが当たり前のこのご時世においても、しっかりと認知されている広告が並ぶ。すごい。それだけ、街頭の看板とか、店頭とか、あらゆるところに露出しているということだ。

そういう作品を見ながら、「このときは◯◯していたなあ」なんて昔話ができる。見ている人の時代背景や生き様と絡み合うほどまでに、佐藤可士和デザインが浸透しているのだから、恐るべきことだ。

佐藤可士和展

そして、企業ロゴのいろいろ。見慣れたお馴染みのものが並ぶ。

ああそうか、日清食品も佐藤可士和だったのか。ユニクロは有名だけれど。

テニスプレイヤーの錦織圭選手は、ユニクロのウェアを着て、日清をスポンサーにしていて、ウェアに両方のロゴがついている。その2つとも佐藤可士和デザインというのだから、実は一番の広告宣伝効果があるのは佐藤可士和ではないのか?ということになる。それだけスゲエ人だ、ということだ。

デザインをテーマとした展示スペースというのは、「ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)」がある。実際、過去に佐藤可士和の個展が開かれたことがあるようだ。しかし、さすが国立新美術館、作品展示のサイズ感がすごい。街なかに溢れかえっている、おなじみのロゴ。でも、それが2メートル以上のサイズで展示されていると、みんな圧倒される。そして、「ああ、こういうロゴというのは、切手サイズから何メートルものサイズまで、拡大縮小されまくってもデザインが破綻せず、見飽きない作りになっていなければならないのか」と納得した。

(2021.02.13)

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