西原理恵子問題を横目でみつつ、子育て情報発信について考える
「恨ミシュラン」の作風が大好きだった僕。このサイトの「蕎麦喰い人種行動観察」は、初期の記事(2000年頃執筆)に色濃く「恨ミシュラン」の色が出ている。サイトリニューアルの都度、文章の見直しが入って露骨に「まずい」などとお店を批判する記述は消えていったけど。

かといって西原理恵子にどっぷりハマっていたかというとそうではなく、彼女の出世作「まあじゃんほうろうき」も新聞連載になった「毎日かあさん」も見ていない。「鳥頭紀行」のあたりで脱落したクチだ。
おそらく、90年代は小山田圭吾問題があったように「これまでの常識や暗黙の了解をひっくり返すことが格好いい、憧れる」という感覚があったんだと思う。テレビでは「料理の鉄人」が放送され僕は熱狂した。一方で、有名店をこき下ろす「恨ミシュラン」もすごく楽しかった。そういう時代だった。
それはともかく、ここ最近話題になっている、西原理恵子の娘からの「プライバシー配慮なく自分のことを漫画のネタにされていた」という告発について考えたい。
僕自身、この半年「オカ・デウス」というコーナーを新設して弊息子の情報を出すようになっている。僕にとっては筆が滑ってしまう前の歯止めとして良いタイミングでの問題提起となった。
当初から「オカ・デウス」は息子の成長を綴るものではない、子どもがこんな微笑ましいことをやったなどということを書くつもりはない、と言ってきた。書きたいのは、「子どもの成長を見て、僕自身がどう思ったか、どう策を弄したか」だ。主体はあくまでも僕自身の思考だ。
その通りになっていれば良いのだけど、実際はどうだろうか?子どもの成長記録の要素が多くなっていないだろうか?なっているよね、間違いなく。
最終的に「僕の考え」につながっているとしても、その「考え」が出てくる前段に息子の写真が出てくるし、行動の説明が入る。どうしても、「僕」で完結できていない。
彼の言動は、このサイトを通じて多くの人が目にすることができる。一方、彼は「見られていること」を自覚できない。これをプライバシーの侵害と呼ばずになんと言う?
これから「オカ・デウス」について、書き方をもっと慎重にしていくつもりだ。幸い、弊息子はまだ自我と呼べる成長に至っていなかった。今後は、写真の出し方も含めて考え直すつもりだ。
結婚決定で天にも昇る気持ち、じゃなくて富士山に登る【富士山登山(富士宮口)】

富士山登山の話は、単調な上り下りでは済まない、変化に富んだ内容で書いていて楽しかった。山によっては筆が進まない登山記と、筆がはかどる登山記がある。今回は後者。
早く書き進めたかったのだけど、4月に引き続いて5月も仕事が忙しく、文章を書く暇がなかった。こういう旅行記は、ポンポンとテンポよく更新していかないといけないと思っている。読んでくれている方にとってそのほうが楽だからだ。しかし、そうはいっていないのが残念。
4月:弊息子、慣らし保育。新年度で業務多忙
5月:弊息子、ウイルス性胃腸炎で保育園を一週間休む。新入社員受け入れのため業務多忙
6月:弊息子、保育園で新型コロナを貰ってきて自宅待機(無症状)。親も濃厚接触者ということで巻き添え自宅待機(無症状)。←今ここ
という状況。たまらんですわー。
(2022.06.01)
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